SF・アドベンチャー アクション

『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』──孤独だったヒーローが、ようやく守られる側になれた日

『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』のラストで、ピーター・パーカーは究極の選択をした。

世界を救うために、自分という存在を世界から消す。

誰にも忘れられずに生きるのではなく、誰からも忘れられて生きることを選んだのだ。

その代償は、あまりにも大きかった。

親友のネッドも、恋人だったMJも、自分のことを知らない世界。

ピーターは孤独を抱えながら、それでも「親愛なる隣人」として街を守り続ける。

本作は、その続きの物語だ。

映画の序盤、ピーターはMJたちと再会しても、本名を名乗らず「メイナード」と偽名を使う。

それは、自分の幸せのために過去を取り戻そうとはしないという決意でもあり、ピーター・パーカーという人生を半ば捨て、スパイダーマンとして生きていこうとする覚悟に見えた。

それでも彼は、小さな事件から巨大な陰謀まで、変わらず街を守り続ける。

そして今回印象的だったのは、敵を倒すことではなく、「救うこと」を最後まで諦めなかったことだ。

ピーターの記憶の中にいるメイおばさんが、苦しむジーン・グレイ(!)を優しく包み込み、その心を解放する場面は、このシリーズがずっと描いてきたものを象徴していた。

余談レベルで記すが、ここはどうしても、ジーン・グレイについて触れなくてはならない。

前情報をほぼ入れずに観に行ったので、この名前が出たときは、思わずのけぞってしまった。これはいったい、どの時間軸だ!?と。

彼女は本当にあのジーン・グレイなのか。その答えはまだ分からない。

しかし重要なのは、ピーターが彼女を「倒すべき敵」ではなく、「救うべき隣人」として見たこと。そう受け取るに留めようと思う。

「大いなる力には、大いなる責任が伴う。」

その責任とは、敵を倒すことではない。

目の前の命を救うことなのだ。

本作でピーターは、新たな仲間とも出会う。

最初は敵対していたパニッシャーとは互いを認め合い、共に戦う存在となり、救われたジーンとも新たな友情を築く。

『ノー・ウェイ・ホーム』で失ったものは戻らない。

しかし、人を救い続けた先には、新しい出会いが待っていた。

それは、「責任を選んだ者は永遠に孤独なのではない」という、この映画からの優しい答えだったように思う。

そして、重傷を負ったスパイダーマンを心配し、病院の前にニューヨーク中の人々が集まる場面には胸を締め付けられる。

これまでピーターは、街を守る側だった。

しかし今回は違う。

街が、スパイダーマンを守ろうとしていた。

「親愛なる隣人」であり続けたからこそ、隣人たちも彼を支えようとする。

善意は巡る。

その光景を見たピーターは、自分は決して一人ではなかったことを知る。

あの場面は、本作最大の感動だった。

そしてラスト。

偶然再会したネッドに、ピーターは初めて自分を「ピーター・パーカーだ」と名乗る。

スパイダーマンとして生きつつ、友人ともピーターパーカーとして「出会い直す」ことを選択した。

その瞬間、二人は昔と同じように自然な握手を交わす。

ネッドが記憶を完全に取り戻したのかは分からない。

でも、身体は覚えていた。

友情とは、記憶だけでつながるものではないのだろう。

これまでのピーターは、両親や叔父叔母を失った子供だったし、高校生で普通の友達に囲まれた少年だった。

『ホーム』三部作は特に、学園もののノリも色濃く、高校生ピーターの青春と成長を描いた物語だった。

しかし本作で、その物語は終わりを告げる。

ピーターはもう、「ヒーローになろうとしている少年」ではない。

孤独を知り、責任を知り、それでも人を救うことを選び続ける、本物のヒーローになった。

有機ウェブを自在に操り、蜘蛛としての能力もさらに進化した。

だが、それ以上に大きく成長したのは、その心だった。

これから彼は、さらに大きな脅威と向き合っていくのだろう。

しかし、もう心配はいらない。

彼はもう、一人ではない。

『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』は、新たなスパイダーマンの始まりであると同時に、孤独だった一人の青年が、ようやく「守られる側」にもなれた物語だった。

そしてその姿こそが、「親愛なる隣人」スパイダーマンの、本当の強さなのだと思う。

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