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『クライ・マッチョ(2021年)』──老齢を治療する方法はない。それでも人生は続いていく。クリント・イーストウッドが最後に説く、男の美学

作品データ

  作品名:クライ・マッチョ(Cry Macho

公開年:2021年(日本公開:2022年)

監督:クリント・イーストウッド

原作:N・リチャード・ナッシュ『クライ・マッチョ』

出演

  • クリント・イーストウッド
  • エドゥアルド・ミネット
  • ナタリア・トラヴェン

上映時間:104分

製作国:アメリカ

ジャンル:ドラマ・ロードムービー

画像出典:TMDb(The Movie Database)

クリント・イーストウッド最後の主演作。

そう聞けば、多くの映画ファンは期待する。

きっと最後に、もう一度だけ彼が輝く姿を見せてくれるのではないか。

衰えた身体を奮い立たせ、かつての強さを取り戻す。
老いたヒーローが、最後の戦いに挑む。

そんな映画を想像する。

しかし、『クライ・マッチョ』は、その期待を静かに裏切る。

復活しない。
英雄にならない。
過去の伝説をもう一度演じようともしない。

これは、老いた男が、老いた自分を受け入れながら、それでも人生を歩いていく物語だ。

そして同時に、クリント・イーストウッドという一人の映画人が、自分自身の人生を重ねるように残した最後のメッセージでもある。

1930年生まれのイーストウッドによる、90歳での監督・出演作品。

はっきり言って、かなりヨボヨボだ。若い頃のようには動かない。

それでもカッコ良さは、生きざまレベルでビシビシ伝わってくる。

老齢を治療する方法はない

主人公マイク・マイロは、かつてロデオ界で名を馳せたカウボーイだった。

しかし今では、栄光の日々は遠い過去。

身体は衰え、仕事も失い、人生のピークは過ぎている。

そんな彼の旅の途中、具合の悪い動物を抱えた人々が、マイクに助言を求める場面がある。

ヤギ、豚、犬。

彼らはマイクを頼り、どうすればいいのかを尋ねる。

そこで彼が語る言葉。

「老齢を治療する方法はない。」

これは老犬に向けた言葉だ。しかし同時に、明らかに自分自身に向けられている。

若さは戻らない。
失った時間は取り戻せない。

老いは敵ではない。

治すものではなく、受け入れて付き合っていくものなのだ。

長い人生を生きてきた者だからこそ分かることがある。

すべてを元通りにすることはできない。

しかし、この老いた体が放つオーラには、長年生きてきた経験からくる説得力があった。

老いたヒーローは、復活ではなく受容へ向かう

多くの老いたヒーロー映画には、最後の見せ場がある。

「まだ俺はやれる」と証明することで、カタルシスが起こる。

それを観客が一番望んでいる場合もある。

しかし、今回のイーストウッドは、その定石までも手放した。

彼はすでに『グラン・トリノ』で、その物語を完成させていたのではないだろうか。

ウォルト・コワルスキーは、最後に命を差し出す。

それは決して美しいだけの死ではなかったが、傷つき、孤独で、不器用な老人が選んだ、無様でありながら最高にカッコいい生き様だった。

しかし『運び屋』、そして『クライ・マッチョ』が描くのは、更にその先だ。

死んで伝説になる男ではなく、老いてなお生き続ける男の姿なのだ。

マイクは、もう何かを証明しようとはしない。

昔は強かった。

でも、今は違う。

その事実を受け入れている。

そこに、この映画の本当の強さがある。

ポンチョを着なかった男

旅の途中、マイクと少年ラフォは逃走のため、メキシコらしい服を探す。

ここで、多くの観客が期待したはずだ。

「あのポンチョを着る!?」

クリント・イーストウッドと聞いて、多くの人が思い浮かべるあのポンチョ姿。

最後にあの姿を見たい!!と切望してならない私たち観客の前に現れたのは、メキシコらしい柄の厚手のカーディガンを着たマイクという老人だった。

少しがっかりしたというのも正直な気持ちだが、

その昔、ポンチョを着ていたあの男は、

孤独な賞金稼ぎのガンマン、名前すら持たない「名無しの男」だ。

誰にも頼らず、銃だけを頼りに荒野を生きる男。

それはマイク・マイロというカウボーイの姿ではない。

彼はポンチョを選ばない。

過去の伝説を再現しない。

もう昔の自分に戻る必要はないのだ。

若い頃の孤独なガンマンの幻影ではなく、今の自分として生きる。

それが、晩年のイーストウッドが選んだ姿だったのだろう。

馬を降りても、カウボーイは終わらない

マイクは、もう現役のカウボーイではない。

ロデオの栄光は過去。
牧場を追われ、馬から降り、今は車に乗っている。

外側だけを見れば、カウボーイではなくなっている。

しかし、彼の精神は変わらない。

動物を大切にする。
約束を守る。
弱い存在を守る。

そして、世話になったマルタに料理を振る舞う場面で、彼は言う。

「カウボーイは自分で料理するのさ」

まだ自分をカウボーイだと思っているのかよと、少し笑ってしまう。

ラフォが可愛がってる雄鶏・マッチョの目の前でフライドチキンを揚げる姿もなかなか男らしく、微笑ましい。

身体は思いどおり動かず、昔の面影はずいぶん薄れているだろう。

しかし、その姿にマイクという男のすべてが詰まっている。

弱いものを守り、経験を活かし、知恵を与え、感謝を忘れず、

永遠のカウボーイとして、静かに生きていた。

最後に残った男らしさ

面白いことに、イーストウッド作品の晩年の男たちは、料理をする。

『グラン・トリノ』のウォルトは、タオたち若者のために肉を焼く。

『クライ・マッチョ』のマイクは、フライドチキンを作る。

若い頃のイーストウッドの男らしさは、銃を握る姿だった。

しかし晩年の男らしさは、少し違う。

誰かに食べさせること。
誰かを守ること。
自分の経験を次の世代へ渡すこと。

そこに本当の強さがある。

タイトルの「マッチョ」は、筋肉や力を意味するものではない。

弱さを認めること。
老いを受け入れること。
それでも誰かに優しくできること。

それこそが、本当のマッチョなのだと思う。

とはいえ、ここで終わらないのがイーストウッドである。

老いても、衰えても、彼にはまだ男の色気がある。

そして、この歳になってもまだ女にモテる自分を描く。

そこは最後まで健在だった。

「こんな俺でも、まだまだ女は黙っちゃいないぜ」

そこが安定のイーストウッド節だ。

老いてもなおモテる、その原動力、

これは若さや肉体ではない。

長い人生を歩いてきた男だけが持つ余裕。

失敗も、後悔も、孤独も経験した人間の深み。

そんな余裕さえ感じさせる、永遠のモテ男なのだった。

『クライ・マッチョ』は、派手な映画ではない。

観終わった直後には、「地味だった」と感じるかもしれない。

しかし、語れば語るほど、この映画がどれほど、今のイーストウッドらしい作品なのかが見えてくる。

死なない。
カッコつけない。
静かに引く。

90歳のクリント・イーストウッドは、最後に無敵の男を演じたのではない。

世界中の映画ファンが、彼のかつてのカッコ良さを知っている。

それでも彼は、その伝説に隠れることなく、自らの老いをスクリーンに刻んだ。

この歳まで、生きざまを遺書のように残し続ける映画人は、二人といない。

クリント・イーストウッド。

まさに、本当の意味でタフな男である。

伝説のガンマンのポンチョは脱いだ。

最後に演じたのは、永遠のカウボーイだった。

まさにこれこそが「マッチョ」だった。

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