タイムループ映画は数あれど、その原点として語られる作品が『恋はデジャ・ヴ』だ。
「デジャ・ヴ」という言葉で同じ一日を繰り返す物語を連想させ、「恋は」でラブストーリーであることも伝えている。
考えてみたらこの邦題は、なかなか秀逸だ。
もっとも、本作は恋愛映画である以前に、一人の人間が生まれ変わる物語だ。
ここでは、主人公の変化を分かりやすく追っていきたい。
①閉じた人間・・・・ 「嫌なヤツ」の正体
主人公フィルは人気お天気キャスター。テレビではユーモアがあり親しみやすいが、カメラの外では愛想がなく、人を見下したような態度を取る。
最初は「嫌なヤツ」という印象を受けるが、物語が進むにつれて、その本質は少し違うことが分かってくる。
彼は傲慢というより、自分の殻に閉じこもった人間なのだ。
②快楽への逃避・・・・ どうせ明日は来ない
毎日同じ朝6時を迎えるという異常な状況に置かれても、フィルは「どうすれば抜け出せるのか」と必死にもがく事はしない。
むしろ、「もう明日は来ない」と受け入れ、自暴自棄になってしまう。
暴飲暴食をし、無謀な運転で警察に追われ、好き放題に振る舞う。
ここで、彼がただ「嫌なヤツ」だったのではなく、長年自分を制御し、自分自身を殻に閉じ込めるように生きてきたということが分かる。
その冷たさは、人を見下していたからではない。自分の殻に閉じこもり、他者へ目を向けられなくなっていた結果だった。
その反動が、一気に噴き出し、無茶苦茶で出鱈目な振舞いをする。
しかし、自分のためだけに生きることには限界があった。
③絶望・・・・ 死ぬことすら許されない
欲望を満たしても虚しさは消えず、やがて彼は死を望むようになる。
車ごと列車へ突っ込み、高所から身を投げても、翌朝6時には何事もなかったように目を覚ます。
何度死んでも終わらない。
本作の残酷さは、「死ねば終われる」という選択肢すら与えてくれないことだ。
④成長と貢献・・・・ 人生を丁寧に生き始める
そして、その絶望の先で、フィルは少しずつ変わり始める。
無限にある時間を利用してピアノを習い、氷の彫刻を学び、町の人々の一日を観察しては、小さな災いを取り除く。
善人になろうとしたわけではない。
ただ、終わる事のない一日を積み重ねるうちに、人とのつながりが生まれ、いつしか町中の人から尊敬される存在になっていく。
この変化がとても自然なのだ。
説教臭さはまったくない。
「人のために生きなさい」という映画ではなく、「人生を丁寧に生き始めると、自然と人との関わりも豊かになる」ということを描いている。
タイムループという設定は、そのための装置に過ぎない。
理由も説明されなければ、ループが終わる理屈も語られない。
でもそれでいいのだ。
大切なのは、タイムループの理屈ではなく、フィルという一人の人間がどう変わったかだから。
現実にタイムループは存在しない。
だからこそ、この映画は私たちに問いかける。
もし今日という一日を何度でもやり直せるなら、あなたは何をするだろうか。
そして、本当に大切なのは、やり直せることではなく、やり直せない一日をどう生きるかなのだと気づかされる。
タイムループを題材にした映画は、その後も数多く作られた。
『時をかける少女』は、青春と選択を描いた。
『リバー、流れないでよ』は、2分間ループという設定をコメディとして極限まで活かした群像劇。
『MONDAY』は、記憶の欠落と人生のやり直しをブラックユーモアで描いた。
『ハッピー・デス・デイ』は、ホラーとタイムループを組み合わせ、「毎日殺される」という恐怖さえエンターテインメントとへと昇華した。
どれもタイムループという設定を使いながら、青春、コメディ、サスペンス、ホラーとまったく違う物語を描いている。
特に『ハッピー・デス・デイ』で主人公が何度も殺されては朝に戻る展開は、本作でフィルが何度死んでも朝6時に目覚める姿を思い起こさせる。
それでも「またタイムループか」と感じないのは、タイムループそのものが映画の目的ではなく、それぞれの作品が描きたいテーマのための「装置」だからだ。
『恋はデジャ・ヴ』は、その可能性を最初に示した作品の一つと言える。
30年以上経った今も色褪せないのは、タイムループというアイデアが優れていたからではない。
「人生を丁寧に生きること。」
その普遍的なテーマを、ユーモアと優しさで描き切ったからこそ、本作は今なお多くの人に愛され続けているのだと思う。