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ボヘミアン・ラプソディ(2018年)

 今や、堂々伝説のバンドとして数えられるようになったイギリスのロックバンド、クイーン。その所以となる伝説のライブを成功させたのが、1985年7月13日。20世紀最大のチャリティコンサート、ライブエイドだ。会場はイギリスのウェンブリー・スタジアム。映画はこのライブに挑むフレディ・マーキュリーのステージ袖から始まる。

 白のタンクトップに、メタリックのサングラス、ロックバンドにしてはスポーティーなファッションと、それともまた不釣り合いな、トレードマークの口髭に短髪。40年近く経って改めて冷静に見てもやはり個性的な出で立ちだが、これから始まる20分間、ステージ上を駆け回るにはちょうど良い、無駄のない(そしてゲイっぽい)スタイル。オーディエンスが渦を巻いて待っている。

 場面は1970年にさかのぼる。ここから1985年の冒頭の神ライブまでの15年間、一気に駆け上がるクイーンの伝記映画が始まる。もちろん全てが順調だったわけではないし、何といってもこのライブエイドをピークにそのわずか6年後、フレディマーキュリーがエイズによる合併症で亡くなっていることが前提となっているので、最初から切ない気持ちを片隅に抱きつつ鑑賞することになる。

 誰もが知る数々のヒット曲と全力のパフォーマンスが、既に当たり前となった現在、その個性的な風貌は「何人?」なんて疑問を持つことすら忘れていたが、リードボーカルのフレディは、インドの出身だそうだ。タンザニアの島国で生まれインドに育ち、何だかんだ苦労して、17歳でイギリスに移住してきたというから、全く知らない生い立ちだったので意外に思った。

 24歳、実家で真面目な両親と妹との4人家族。アルバイト先の空港ではしばしばパキ野郎などと侮辱されながらも、(親が言うには)夜遊びばかりしている普通の男の子のようだ。

 だか普通ではないのは、その音楽的才能。それは物語の最初から備わっていた。

 スマイルというバンドの辞めてしまったボーカル代わりに、俺は?と歌いだす。もう最初から天才。即採用。「ベース弾ける?」「ノー」。ベースメンバーも探しているらしい。そして「スマイル」はそのまま「クイーン」になる。

 ニュー・リードシンガーを迎え、バンド名を「スマイル」から「クイーン」に変えた彼らは、フレディが亡くなる1991年まで、クイーンを「家族」として活動を共にする。

 音楽に関してめっぽう自由で貪欲なフレディは、まさにバンド神の申し子。マイクを持たせたら、普通に息してしゃべったりしてる時よりも、ずっと楽に自然に「生きている」って感じ。不思議な魅力を放っていて、まぶし過ぎる。

 初アルバムのレコーディングから、新しい音、新しいアイデアが泉のごとく溢れ出るから、天才って凄い。もちろん「家族」のメンバーも、個性バラバラでそれぞれの才能が相乗効果で倍増して発揮される。若者の可能性ってやっぱり計り知れない。現在70歳オーバーの彼らを「若者」呼ばわりしてしまうのも、この類の映画ならではの面白さだ。

 才能が、成功とそれ以外の諸々を引き寄せる。音楽畑の大物、メディアへの露出、可愛い彼女、怪しい取り巻き・・・。

業界の大人たちは、自由奔放な音楽の才能ダダ洩れ状態の彼らを、いろんな制約でがんじがらめにする。何時だってそうだ。そんな事には慣れてるさ、それを破るのがロック、そしてロックの枠に捕らわれず新しい音を発明するのがクイーン。

TV出演、ライブハウスやレコーディングとは違うルールがある。それでもそのルール内で、なりたい自分になれる。怖いものなんて無い。

メアリー、彼女は特別だった。美しいメアリー。「Love of my life」は、彼女の曲。彼女の愛は誰よりも深い。それは彼にとって生涯変わることのない定義のようなもの。例えフレディがゲイだとしても、メアリーが別の人と結婚して家庭を持っても。フレディがどんなに成功しても、二人の住む世界がかけ離れてしまったとしても。

ポールプレンターという髭の男、彼はフレディの人生の小さな石ころ。フレディの心の隙間にするりと入り込んで、時には理解者として癒し甘やかし独占し、利用して欲に溺れた男。この小さな石ころに、フレディは躓いてしまったんだ。

ジムハットンという髭の男、彼は「君が本当の自分を見つけたら、また会おう」と言って、通り過ぎて行った。フレディの生涯の想い人となる。

 いろいろややこしい事はあるが、その前には、何よりも音楽がある。

足踏みとクラップの三拍子から生まれた「We will rock you」

言い争いの最中、そのリフ悪くないね、と生まれた「Another one bites the dust」

名曲だ。

 そんな中、容赦なく忍び寄る、セクシュアリティ問題と、ソロ活動問題。

 そこからの発病。

自分の中でこの現実をどう整理したのか、その辺の描写は本作には描かれていない。どのような凄まじい葛藤があって、ライブエイドのステージに挑んだのか。あくまでもメンバー含む第三者の目に映っているフレディと、音楽に純粋に向き合うクイーンだけが描かれている。感傷的になり過ぎない作りになっている。だが調べてみると、フレディがHIVの血液検査を受けたのは、このライブエイドの後だったとか。対してブライアンメイは、ライブエイドの時にはもう既に、病名こそ明かさなかったがフレディはかなり身体の具合が悪かった、とか。真相は曖昧だ。

 1985年ライブエイド当日。父の教え「善き思い 善き言葉 善き行い」。その言葉が形になる日だ。 

 ライブ会場は物凄い熱気を放っている。観衆7万2000人 VS クイーン。

 本作の一番の仕掛けは、音楽史に残るあの伝説のライブを、かなりの熱量を持って忠実に再現した事。7万2000人のオーディエンスはCGで、クイーンのパフォーマンスは、俳優の完コピパフォーマンスに本家の音源をのせて、ステージに関わる他のスタッフの動きまでにもこだわって再現している。その(作り物とは言え)忠実に再現されたパフォーマンス、魂を込めた歌唱、7万2000人の合唱拍手興奮、波打つ観衆に、自然と涙が溢れてしまった。音楽の力って凄い。間違いなくウェンブリーの空には穴が開いたし、何なら地面だって陥没しそうだった。ライブ前は不安そうだったメンバーも、楽しそうにフレディを見守る。ジムハットンの優しい眼差し、メアリーの誇らしげな顔、感極まった観衆。そして何より、フレディ・マーキュリーの神々しいほどのパフォーマンス。 会場が割れる。音楽の素晴らしさと、人間の優しさに感動させられた。

 フレディ・マーキュリーの人生で、良くも悪くも、いろいろな出会いと別れがあった。それぞれがどのように彼の人生に影響を及ぼしたのか、またはその出会いが無くても、フレディの運命は変わらなかったのか、そんな事は分からないが、フレディの歌、クイーンの楽曲が多くのビューティフルピープルの人生に大きく影響を与えたことだけは間違いない。

 伝説のライブを再現したこの映画の「仕掛け」の仕上げは、映画視聴後には絶対、当時のクイーンの本物映像を観てしまうことだ。DVDが無くたってYou tube で、簡単に観ることができる。フレディを演じたラミ・マレックはもちろん素晴らしかったが、本物のフレディ・マーキュリーの鬼気迫るほどのパフォーマンスは、必見。

 この作品によって、新たなクイーンファンがまた生まれたことだろう。そして今なお、クイーンは存続している。

 U-NEXTで、 鑑賞  

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