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『ゴッドファーザー〈最終章〉:マイケル・コルレオーネの最期』(2020年) - PART IIIの再編集版ゴッドファーザー最終章

ドラマ・犯罪・マフィア

MARIO PUZO'S THE GODFATHER, CODA: THE DEATH OF MICHAEL CORLEONE

  • 監督:フランシス・フォード・コッポラ
  • 脚本:マリオ・プーゾ
  •    フランシス・フォード・コッポラ
  • 原作:マリオ・プーゾ
  • 出演:アル・パチーノ(ディック・トレイシー、シー・オブ・ラブ、ジャスティス)
  •    ダイアン・キートン(赤ちゃんはトップレディがお好き、レッズ、マンハッタン)
  •    アンディ・ガルシア(ブラック・レイン、アンタッチャブル、愛と死の間で)
  •    タリア・シャイア(ロッキーシリーズ)
  •    ソフィア・コッポラ(ペギー・スーの結婚) 
  • ゴッドファーザーPARTⅢ 1990年/米/162分
  • ゴッドファーザー〈最終章〉:マイケル・コルレオーネの最期( PART IIIの再編集版) 2020年/米/158分

さて「ゴッドファーザー〈最終章〉:マイケル・コルレオーネの最期」のあらすじです。ネタバレですので注意! 

 1979年、つまり前作でハバナ進出に失敗し、兄フレド粛清、妻ケイとの離婚から20年の年月が経った頃。60歳のマイケル(アル・パチーノ)は、ポマードで固めた髪の代わりに白髪交じりの短髪、しわも増えてかつてのギラ付きは枯れていた。

 描かれていない20年間のマイケルは、それまで運営していたラスベガスのカジノ事業に継ぎ、アトランティックシティに手を伸ばした後、半ば引退して他のマフィアファミリーたちに利益を分け与えていたようだ。拠点のニューヨークは新参のジョーイ・ザザという男に譲っている。

マイケルがファミリーのドンに就任してから30年来ずっと考えていた事、それは裏社会との関係を断ち切り、家業を合法ビジネスのみに変えること。そしてそれを子供たちの代に引き継ぐことを常に願っていたし、その努力も惜しまなかった。

「彼らはあなたを恐れてるわ」「お前を、だろ?」 マイケルの誤算

 今回のマイケルは、尊敬する父の名を掲げた「ヴィトー・コルレオーネ財団」を設立し、そこからシチリアへ1億ドルという高額寄付を行った事によってバチカンから叙勲され、今日はその叙勲パーティーが執り行われていた。マイケルの愛娘メアリー(ソフィア・コッポラ)がヴィトー財団の名誉会長としてスピーチし、歌手のジョニー・フォンテーンが祝いの唄を披露する。ジョニーとは、PARTⅠで妹コニー(タリア・シャイア)の結婚パーティーでも歌い、コルレオーネファミリーとは長い付き合いの男だ。相変わらずシナトラばりに甘い歌声だ。

このようにゴッドファーザーシリーズは決まってパーティーのシーンから始まる。そしてその最中に陳情やビジネスの話を受けるドンのシーンもお約束だ。

 まずはバチカン銀行総裁ギルディ大司教。彼と仲間たちが銀行の資金を横領して7億数千万ドルという負債を出したので、その補填に6億円を献金してくれと言う。何とも怪しい話だが、マイケルはその見返りに法王庁が25%の株を持つ世界最大不動産会社インモビリアーレの経営権を要求する。アメリカ人のマイケルがヨーロッパの大企業を手に入れれば、それはコルレオーネ家と子供たちの歴史を飾る輝かしい偉業だ。もちろんその経営権を手にするにはギルディ大司教の一存でどうなるものではない。取締役会や法王の承認も必要だ。だが6億もの献金を受け取った聖職者が自分をだますとは露にも思わなかったのだろう。マイケルは「やられたらやり返す」男だが、こんな時はどうしても大学出のボンボン感が出てしまうのか。長兄トニーのような「やられる前にやる」攻撃性も、父ヴィトーのような防衛力も、やや弱い。

 ちなみにこのギルディ大司教は実在の人物ポール・マルチングス大司教がモデルとなっている。元々アメリカとイタリアのマフィアとの関係が深いアメリカ人で、マフィアやイタリア政財界絡みのマネーロンダリングに自らが総裁を務めるバチカン銀行を利用し、不正融資を受けていたという、とんでもない聖職者だ。

マフィアと関係を持ったバチカン銀行の実在のスキャンダルを基に、そこに我らがゴッドファーザー、ドン・マイケル・コルレオーネをねじ込むなんて、コッポラは大胆な脚本を書いたものだ。

 次に元妻ケイが、息子アンソニーの進路相談にやって来る。8年ぶりに会ったケイは、金で栄誉を買い社会的地位を得たマイケルを今でも「忌み恐れている」と言い、元夫を凹ませる。そして大学を中退してオペラ歌手の道に進みたいと言う息子に協力してくれと言われ、本意ではないがマイケルはそれに従うしかなかった。過去のマイケルには、自分の意見を絶対に曲げないという頑固さと、絶対服従を強いる威圧感が付きものだったが、今は丸くなり、強い元嫁と息子に説き伏せられる普通の初老男のようだ。確かに過去には様々な悪行を犯してきた。しかしそれは全て家族を守るためだ!と怒鳴ってみても、兄フレド殺しに関してケイに問われれば、思い出したくもない最悪の過去として贖罪の念に駆られる。マイケルにとって、フレドの記憶はトラウマだ。そしてフレドの事を優しい伯父さんと慕っていたアンソニーにとっても、その死は大きなトラウマになっていた。

 そして父ヴィトーの古い友人で、コニーの名付け親であるドン・アルトベロ(イーライ・ウォラック)は、ヴィトー財団に100万ドルの寄付をしたいと申し出る。バチカンから称えられた財団と、心も名前もつながっていたいと言う。これを善意と取るか、またはマイケルの合法ビジネスに一枚噛んで今後も利用しようという腹か、当然後者であることは明らかであるが、ゆうても父の友人であり妹のゴッドファーザーという御大を、やすやすと邪険には出来ないのである。

イーライウォラックは、続・夕陽のガンマンの卑劣漢で有名な名優だが、今作でも安定のズル賢さとお茶目な演技を見せてくれる。 

 続いてジョーイ・ザザ。マイケルからNYのシマを受け継いだ男だが、邪魔な部下がいるので何とかしてほしいと言ってきた。PARTⅡでのフランクとロサト兄弟の縄張り争いと同じパターンだ。ザザの言う邪魔な部下とは何を隠そうマイケルの親戚、今作の主人公の一人、ヴィンセント・マンシーニ(アンディ・ガルシア)だ。死んだ兄ソニーと愛人の子、つまりマイケルの甥にあたる。私が口をはさむことではないと言うマイケルだが、パーティーに来場しているヴィンセントをこの場に連れて来させる。祝賀パーティーにチンピラ風の革ジャンで現れたヴィンセントを軽く咎め、ザザとは仲良くしろと言うマイケル。ヴィンセント曰く、ザザは幹部会で出世の邪魔をされた事を根に持ち、マイケルを恨んでいる。

マイケルはザザに「俺の事を陰でクズと言う奴はイヌ野郎だ」と念を押し、二人に仲直りのハグをさせる。そこでヴィンセントはザザの耳を嚙みちぎり流血騒動を起こす。思ったとおり父親に似て血の気が多い男だ。そんな若く荒々しい甥の態度に頭を抱えつつも、しばらく自分のそばに置いて仕事を学ばせようと決めるマイケルだったが、これもまた本意ではないのだった。

 パーティー会場に戻ると、ヴィンセントを呼び入れ家族の集合写真を撮る。コルレオーネの新しい門出と言ったところだろう。メアリーは、マイケルから渋い顔をされたヴィンセントの革ジャンを素敵ねと褒める。何か不吉な気配を感じるさせるセリフだ。しかし次のシーンでメアリーと笑顔で踊るマイケルは、PARTⅠでコニーと幸せそうに踊るヴィトーの姿と重なり、悲劇の物語の中の一瞬の灯である事を予測しても余りあるほどの、超絶幸せそうな姿なのである。

 パーティーには、コルレオーネのグレーなビジネスを興味本位に書こうとするマスコミ陣も出席していた。

思えばPARTⅠのコニーの結婚パーティーでは、ソニーがマスコミどものカメラを奪って壊したが、本作での息子ヴィンセントは、パーティーで知り合った美人記者をお持ち帰りする。父ソニーが妹コニーの友人ルーシー・マンシーニ(ヴィンセントの母)とパーティー会場で出会って愛人にしたのだから、とにかくこの親子は二人して血の気が多い。

 ヴィンセントが美人記者と寝ていたところを二人組の男に襲撃される。ナイフを持って奇襲する二人を逆に銃で脅し、ザザに雇われた事を吐かせ、二人とも撃ち殺してしまう。その腕前はなかなか鮮やかで、祖父ヴィトーが昔ドン・ファヌッチを殺した時の思い切りの良さを思い出させる。なかなかの逸材だ。

しかしその事件をマイケルは咎める。警察を呼ぶべきだった、報復されるぞ、俺を巻き込むな、ざっとこんな感じだ。まるで自分がニューヨークの賭博犯罪組織を支配するマフィアの最強ボスだということを忘れているようだ。しかしマイケルが今の自分をどう扱おうと、周りの人間はそう簡単には変わらない。

「マイケル、彼らはあなたを恐れてるわ」と言うコニーに、「お前を、だろ?」と返すマイケル。

まだまだ裏社会の中心として周りからは恐れられる存在なのに、勝手に引退したつもりになっているマイケル。この時はまだ自分の誤算に気づいていないのだった。

「敵はいつも、愛するものを狙ってくる」 マイケルの予言

 この世界に足を踏み入れて以来、マイケルには常に敵がいた。ニューヨーク五大ファミリーの中でも最大勢力を誇るコルレオーネファミリーは、父である一代目ボス、ヴィトーの時代にはマフィア同士の均衡が保たれていた。互いのシマを侵さないために話し合いを持ち、揉め事を最小限に抑えるための暗黙のルールが敷かれていたように思う。しかしそんな時代はいつまでも続かず、ヴィトーは襲撃され、その報復をしたのがマイケルだった。それまでは堅気でマフィアの稼業を嫌っていたが、勝気な性格と執念深さと機転の利く頭脳を生かして、力技で今の地位にまで登りつめてしまった。故に各方面に潜む敵が、マイケルと彼の愛する家族たちの命を常に狙っている。もうそろそろこんな生き方は本気で終わりにしたいと願うマイケルだったが、マイケルの敵はマフィアばかりでない。彼の財力を利用しようとする者もいれば、マフィアから足を洗おうとするマイケルを良く思わない者もいる。

 ヴィトーの時代では、頼って来る町民のために一肌脱ぎ、施しと恩義を手から手へ直接伝え合い、地域がまとまっていた。それが今や「財団」という企業のようになって、巨額の資金を動かすという時代だ。政府には法人税だって収めている。この時のマイケルは正当なビジネスとして純粋にヨーロッパの大企業を買収しようとしていたし、もちろんそこに政治的な意味などは無い。「財団」にからくりも無いし、娘を代表に据えたのだってアピールや体裁などでは決してない。

しかしインモビリアーレの株主総会では、コルレオーネとバチカン銀行との関係を怪しむ者もいるし、マイケルの事を「シチリアのマフィア」と呼び、そんな奴に自分たちの会社を乗っ取られていいのか!?と罵倒する者もいる。かのギルディ大司教が何とかその場を収めたが、どうせマネーロンダリングに利用するのだろうと誰もが思っていたし、周りのマフィアもそれを利用したいと考えていた。メアリーでさえ不信感を抱き始めるが、マイケルは神に誓って言う。愛する子供とその子供たちのためなのだと。お前のためなら地獄も怖くない、そう言って娘を溺愛するマイケルだった。

 ギルディ大司教を信じ、インモビリアーレの買収を進めるコルレオーネ財団だったが、ローマでの最終裁可でカトリック系の実業家グループがこれに反対した。そこにはアンブロシアーノ銀行頭取カインジックやインモビリアーレ社の会長で政治家のドン・ルケージもいる。更に法王が病のため危篤状態に陥り、法王自身の裁可も得られていない。

ファミリーの弁護士ハリソン(PARTⅡまでのトム・ヘイゲンは亡くなり、その後任コンシリアレ)は、話が違う!と大声を上げ怒りを隠さない。マイケルも怒りと困惑で表情をこわばらせる。するとドン・ルケージが挑発的な態度で、マイケルに代表権を与えようと言いだす。マフィアのドンだかゴッドファーザーだか知らんけど、これはビジネスだ。何かあったらあんたは地位を奪われるだけだよ、と。これを受け入れたマイケルだったが、「ボルジア家め!」と吐き捨てるように言った。ボルジア家とは15、16世紀にイタリアで繁栄した貴族の家系で、特にそのイメージから、強欲、冷酷な人間の例えに使われる言葉だそうだ。「クソが!偉そうにすんなや!!」って事のようだ。

 NYのリトルイタリーの街では、ヴィンセントが昔のヴィトーのように街の人々から慕われている。そこにはヴィトーが立ち上げた会社ジェンコオリーブオイルの佇まいも残っている。いとこのメアリーに街を案内し、それぞれの父親ソニーとマイケル、フレドの話などをして、ヴィンセントとメアリーは互いの距離を締めていく。

ヴィンセントはヴィトーのように優しく、ソニーのように荒々しく、またクレメンザのように料理上手で面倒見が良い。メアリーはマイケルのように純粋過ぎるほどに貪欲で、ケイのように正直で、またアポロニアのように美しい。ゴッドファーザーシリーズの集大成のような若い二人。しかし二人は従兄妹どおしだ。

 既にカジノを全て手放していたマイケルは、それまで運営を任されていたカジノの利益を、他の友好ファミリーに分配していた。PARTⅡで「いずれ引退して皆に分け与えよう」と言っては、病気で死にそうになっても最期まで居座ろうとしていたハイマン・ロスと違ってなかなか潔い。ドン・アルトベロによれば、そんなマイケルに皆感謝してはいるが、勝手に引退して新しいビジネスに手を伸ばし、それに自分たちファミリーを関わらせようとしない事に不満を抱く者もいるという。そう語るアルトベロ自身は、どうなんだ?

そこで皆に説明するため、友好ファミリーの幹部会を開くことになった。マイケルは、皆の前で宣言する。「私は今日君らとのビジネスに終わりを告げる。我々は互いに繁栄を遂げたが、そろそろ関係を解消すべきだ。」カジノの配当金を皆に気前良く分配し、自分だけマフィアから足を洗い、今後はビジネスマンとして生きるというのだ。高額の配当金を手にしたそれぞれのボスたちは、マイケルを称賛した。しかし新参者でチンピラ風情のザザへの配当金は無かった。腹を立てたザザは「あんたは敵だ。」などと悪態をついて、その場から出て行ってしまう。自分が話してなだめるからと、その後を追ってアルトベロも出て行った。

ザザとアルトベロが出て行った後、他のボスたちは、インモビリアーレをマネーロンダリングに使わせてくれ、とか、独り占めは水くさいぞ、とか言ってくる。関係を断ちたいと言ってるのに、まだこいつらはこんな事を言ってる。

その時、地震のように天井のシャンデリアが揺れ、テーブルの上のオレンジが転がり落ちたかと思うと、ガラス窓が次々に割れた。それはヘリコプターからのおびただしい銃撃だった。同席していたヴィンセントとアルネリに救助され、マイケルは無事その場から避難した。

心配するコニーらと共に、事件の報道をテレビのニュースで確認する。「幹部たち12人死亡、10人が重傷。」アルネリからの情報では、生き残った者はザザの味方に付き、アルトベロは引退してシチリアに帰るそうだ。ヴィンセントはここぞとばかりにザザを殺そうと息巻くが、あんな腰抜けが一人で幹部皆殺しを図るわけがない。足を洗えたと思ったらまた逆戻りか。

「アルトベロめ!裏切り者はあいつだ!!」

激昂したマイケルは呼吸困難に陥る。糖尿病の発作だという。遠くから雷鳴が聞こえると「フレド!フレド!!」と取り乱す。マイケルはこれまでずっと、死んだ兄の亡霊に悩まされていたのだった。そしてそのまま倒れて救急車で運ばれた。

ザザとの新旧交代、自分はビジネスマンとして生きる、マフィアの厄介事は避けたい、と弱音を吐き、発作で倒れるマイケルを見ると、ファミリーの行く末を案じて表情を曇らせるコニーとアルネリだった。

 マイケルが倒れたことを聞いたギルディ大司教は「奴が死ねばすべてが白紙だな」と言って、ローマの最終裁可の場にもいたカインジックと共に悪い顔をする。悪代官と越後屋のような二人。やはり裏で繋がっていた。不安なBGMが流れ、前途が危ぶまれる。マイケルの味方は、やっぱりいないのか?

 常に命を狙われ、死を望まれるようなマイケルだが、病院には元妻ケイと二人の子供たちアンソニーとメアリーが見舞いに来てくれた。弱々しい姿を初めて見せるマイケルに、アンソニーは今度シチリアでオペラ歌手としてデビューすると報告をする。PARTⅠでは襲撃されたヴィトーの病床で「パパの事は僕が守る」と誓ったマイケルだったが、襲撃は免れたものの糖尿病で倒れた自分に向かって息子がかけた言葉は「歌手デビュー」だ。それに対し「俺も絶対聴きに行くぞ♡」と、息子の晴れ姿を楽しみにする普通のお父さんの顔を見せるのだった。

 ニューヨーク、ザザの仕切るシマではキリスト教の祭りが行われていた。祭り客の人混みの中、気取り屋のザザがマスコミに囲まれ上機嫌で取材を受けていると、騎馬警官に扮したヴィンセントが、ボディーガードもろともザザを射殺した。PARTⅡで若きヴィトーが、ドン・ファヌッチを殺した時の事を想い出さない訳にはいかないシーンだった。

ヴィンセントの奇襲に同意したのは、コニーとアルネリの二人だった。

マイケルはこんな事を望んでいなかった。チンピラザザの事は認めていないが、穏やかに世代交代をしてしまいたかった。その意に反対だったのがコニーだ。ニューヨークはヴィンセントに仕切らせたいと願っていた。昔からパパが大切にしてきた地を、コルレオーネ以外の人間の手に渡したくないという想いがあった。特にヴィンセントは死んだ兄ソニーの息子。コニーの事を一番に想い、夫から受けるDVに腹を立て、家に駆け付けようとした道中で殺されてしまったソニーの息子。コニーがヴィンセントを思う気持ちには、特別なものがあるのだ。

アルネリも、PARTⅠ、PARTⅡと、常にマイケルと共にいた男だ。口数は少ないが、その正確な銃の腕とマイケルへの服従心は、シリーズを通してナンバーワンであることは間違いない。

ゴッドファーザーを支え、マイケルを支え続けた二人の判断だった。

マイケルは、勝手な命令は二度と下すな!ウチのファミリーを動かすのは俺だ!と二人を怒鳴る。

殺された兄ソニーに似て血の気が多すぎるヴィンセントの事を心配する。「そしてソニーはお前と同じで女にもてた」

「俺の娘に手を出すな」

「覚えとけ、敵はいつも愛するものを狙ってくる」。長年この稼業で生きてきたマイケルが、身をもって痛感した教訓だ。

「私は人を殺し、人を殺させました」 シチリアにて、マイケルの懺悔

 アンソニーのオペラを鑑賞するために、コルレオーネファミリーは一同を挙げてシチリア島へ渡った。ここはマイケルが初めて殺人を犯したとき、数年間身を隠して暮らしていた土地。父ヴィトーの生まれ故郷で、古い友人ドン・トマシーノは恩人だ。ヴィトーが若い頃、宿敵ドン・チッチオを殺す手引きをしてくれたトマシーノは、その時に銃で撃たれてからずっと車椅子生活を送っている。

友好ファミリー襲撃事件の黒幕(たぶんアルトベロ)とバチカンの問題が裏で繋がっているのでは、と考えていたマイケルは、これらを操る人物に心当たりはないかとトマシーノに相談する。

「ドン・ルケージ」

事情通のトマシーノは言う。彼ならマフィアもバチカンも動かせるイタリアの政治家だ。

まさにローマでマイケルを挑発してきたあの男、「ボルジア家」だ。奴こそが本物のマフィアだ。

マイケルの味方になってくれるかもしれない人物として、トマシーノはランベルト枢機卿という人物を紹介する。ギルディなどとは違い、信頼できる聖職者らしい。あくまでも筋を通したビジネスを望むマイケルだが、敵はそう甘くない。フェアな人間に相談したところで、道は開けるのか。悪いことが起こらなければ良いが。

 アンソニーが、皆の前でマイケルに歌をプレゼントしてくれた。元気そうに振る舞ってはいるが、糖尿病を患い、ここの所心配事が絶えない父に贈るその唄は、あの「愛のテーマ」。コルレオーネ村に伝わる古いシチリアの唄として、アコースティックギターで静かに歌うアンソニーの優しく情熱的な歌声は、マイケルの疲れた心に突き刺さり、目頭が熱くなる。当時の記憶が蘇る。自分が父を守り、家族を守ると誓ったあの時の情熱。アポロニア。昔、美しくて素晴らしい娘が死んだ。

アンソニーとメアリーに、自分の過去を「歴史だよ」と語って聞かせる。そうした上でメアリーに、ヴィンセントとの付き合いを禁ずる。従兄との交際は不吉だ。そして自分の過去とアポロニア、そして彼らの母親ケイとの失敗を振り返れば、愛娘をヴィンセントにやるわけにはいかない。奴はマフィアだ。マフィアの女は幸せになれない。

しかしメアリーのヴィンセントへの気持ちは堅かった。

 隠れてメアリーと付き合うヴィンセントは、マイケルから仕事を頼まれる。アルトベロに近づき、奴の裏のコネクションを探れ、マイケルの娘と駆け落ちしたいから力になってくれと言って懐に入るのだ、と。そこまでのシナリオを用意されたヴィンセントはきっと、メアリーのパパ、怖!と思ったであろうが、言われたとおりにするしかない。

 アルトベロに接触したヴィンセントは、早速ドン・ルケージを紹介された。マイケルを殺すために、ザザに幹部会を襲撃させたのもこの二人だった。政財家のルケージは言う。「金融は銃だ。いつ引き金を引くか、それが政治だ。」と。

今回の黒幕、黒幕中の黒幕、真っ黒黒な奴は、こいつだ。

 ちなみにこのルケージのモデルも、バチカン銀行とマフィアの関係を取り持ち、ギルディ大司教(のモデル)やカインジック(のモデル)と共に、マネーロンダリングなどの悪事に手を染めていた人物。まさに、そういう事だ。

 ランベルト枢機卿に会いに行ったマイケルは、大司教の不正を彼に訴え出る。大司教の事を信じて大金を贈ったのに、汚職にまみれた司教や銀行家たちがその金を横領したと。枢機卿への告発で緊張したマイケルは、またもや糖尿病の発作を起こすが、それを収めるためにオレンジジュースとクッキーをむさぼる。これがあの、泣く子も黙るゴッドファーザーの姿か。痛々しく無様な姿を見せるマイケルに、枢機卿は恐れることも侮辱することもなく、優しく温かく公平に接する。初めて会う人なのに、亡きパパのように大きく、ママのように優しい人物だ。懺悔をしてはどうかね、と勧められるが、懺悔なんて30年もしてないし、「自分の罪は神の救いを超えています」と言って懺悔をすることを躊躇する。

しかし枢機卿に向かって「自分は過去に大きな罪を犯し、今は小悪党に騙され金をふんだくられ、糖尿病で苦しんでいる身だ」と告白している時点で既に懺悔しているようなものだ。疲れたマイケルの心は救いを求めて、償いを始める。妻を裏切り、自分に偽り、人を殺し、実の兄を人に命じて殺させました。私の母の息子を、私の父の息子を・・・。そう言って顔を覆い声をあげて泣くマイケル。それは誰にも見せたことがない姿だった。

「恐ろしい罪だ、だから苦しむのだ、神は救ってくださるが、君はそれを信じないだろうし改めないだろう。父と子と精霊の御名によってあなたの罪を許そう。」真の聖職者からの言葉をもらい、少しだけ心が救われた。

屋敷に戻って、何かが変わったかのような気持ちで、コニーにも懺悔をするように語った。しかし「フレドが湖で溺れて死んだのは、過去の事故よ。彼は神に召されたわ」と言って泣くコニーに、本当のことは言えなかった。いや、本当はコニーも知っていたかもしれない真実を、今更言葉にすべきではないと思った。それは自分を隠すためではなく、コニーのためでもあった。

 危篤状態だった現法王パウロ6世が逝去した。それを機に悪人たちが、動き始める。

 アルトベロは、昔から使っていた殺し屋「モスカ親子」に会いに行った。この親子は、アルトベロの切り札なんだそうだ。

 同じくしてヴィンセントも、信頼できる「双子の殺し屋」を手配し、コニーに紹介した。

 マイケルを殺す者、守る者、双方の殺し屋が揃えられた。

 コニーはヴィンセントの姿に亡きパパヴィトーの強さを重ね、マイケルに何かあったら必ず復讐する事を誓わせる。今や骨を抜かれたようなマイケルに対し、コニーが影のボスのようだった。ビジネスには一切口を挟まなかった亡き母ではなく、ゴッドファーザーの永遠の象徴、亡き父ヴィトーの面影を追いかける、これが娘コニーの生きざまだった。

 懺悔をして心が洗われたマイケルは裏での動きなども知らずに、昔アンソニーがくれた絵を「お守りにしてるんだよ」と言って、父子の絆を確認し喜びの中にいた。

「まだ持ってたの?」アンソニーは照れ笑いをするが、それは映画スタッフの小道具さんに言ってあげたい。16年もよく保管してくれたもんだ。

 一足遅れでケイがシチリアに着くと、上機嫌で迎えるマイケル。初めてシチリアの土を踏んだケイに、コルレオーネの歴史を教えようと言うと、もう十分よと断られる。あなたのファミリーが恐ろしいことは、もうとっくに知ってるわという事だろう。ケイはマフィアを嫌い、シチリアを嫌っていた。

 マイケルはボディーガードをまいて、運転手の振りをしてケイをコルレオーネ村まで乗せる。父の生家や、地元の結婚式、シチリアに伝わるオペラの人形劇を二人で観た。その人形劇は、夫を裏切って従兄と恋に落ちた娘の話。父親は名誉のために娘を殺してしまう。不吉だ。二人ともメアリーの事を考えて気まずい雰囲気になる。

 次にカロの家に行く。カロとは、昔シチリアに隠れて暮らしていた時のボディーガードだ。当時マイケルには地元のボディーガードが二人付いていたが、一人がカロで、もう一人が裏切って車に爆弾を仕掛け、アポロニアが死んだ。

 マイケルとケイは食事をしながら話をした。

親兄弟の仕事には一切かかわらないと言っていた僕が、父親の跡を継いでどんな想いで戦ってきたか。あの時は分かってもらえなかったが、僕は今でも君を愛しているし、僕は君の考えてるような男ではないよ。どうか恐れ憎まないでほしい。

どうしてそんな話を今更するの?私にどうしろと言うの?私もあなたを愛したわ。

そう言って手に手を取り合う。その瞬間、恋人どおしだった頃の気持ちが蘇ったように思えた。

 しかし更に次の瞬間、カロがドアをノックする。「ドン・トマシーノが撃たれた!俺の主人だ!報復の命令を!!」

頭を抱えるマイケル。「死んだのか!?復讐だ!!」

シチリア語だったが何となく理解したケイは、「こいつら・・・」と呆れ顔をしたのだった。

「神様、なんてことだ」 マイケルの贖罪

 パウロ6世の死後、新法王に選ばれたランベルト枢機卿は、ヨハネパウロ1世と名乗り、就任してすぐにバチカン銀行の改革を表明した。マイケルからギルディ大司教の不正を聞かされていたから、という事になるのだろう。

現実世界のローマ教皇ヨハネパウロ1世も真に改革派の人物で、実際にバチカン銀行の改革を表明し、就任後33日で急死した事から暗殺説が有力のようだが、マイケルの密告説は、たぶん無い。

 新法王による銀行改革が実行されて困るのは、カインジック、ギルディ大司教、ルケージだ。アンブロシアーノ銀行、バチカン銀行、インモビリアーレ、そしてイタリア・シカゴのマフィアなどが今のまま仲良しでいられるためには、新法王とマイケルコルレオーネが邪魔だった。

 カインジックがいち早く、多額の現金と重要書類を持ち出して疾走する。追い詰められたカインジック、焦るギルディ、次の策を練るルケージ。

 恩人トマシーノの死は、マイケルの精神にかなりのダメージを与えた。亡骸を前に「もう二度と罪は犯しません」と神に誓う憔悴ぶりだ。アルトベロの裏の協力者で黒幕が、思ったとおりドン・ルケージだったとヴィンセントから報告を受けても、怒りより悲しみが上塗りされただけだった。自分を消すために、シチリアの凄腕の殺し屋が雇われた事を聞かされても、用心しよう、とだけ答える。自分のビジネスが、彼らにとっては邪魔でしかなかった。このままだと新法王の命も危ないと直感する。自分は今まで身内を巻き込むまいと抵抗し、懸命に努力してきた。ヴィンセントだって身内だ。しかしこの世界に生きる以上それは不可能だと改めて悟る。

「敵を皆殺しにしろ。」今まで部下に何度も出してきた命令。しかしもう自分には出せない。懺悔し、神に誓ってしまった。二度と罪は犯さないと。命令をください、と請うヴィンセントに今出せる命令は「俺の娘を諦めろ」。後戻りはできない修羅の道を選ぶなら。

マイケルはカロやアルネリを部屋に入れ、メアリーとの別れを誓ったヴィンセントをこう紹介する。

「私の甥、今日からヴィンセント・コルレオーネだ。」

赤い布張りの肘掛椅子に座ったヴィンセントは、部下となったアルネリたちから「ドン・ヴィンセント」「ドン・コルレオーネ」と呼ばれ祝福される。それを遠目にしてマイケルは退室する。30年前マイケルが二代目に就任した時の事が思い出される。こうして二代目は引退し、ヴィンセント・マンシーニ・コルレオーネが三代目に就任した。

 アンソニーのオペラの夜、観覧客には殺し屋たちも混ざって、開演前の劇場は賑わっていた。

コニーに「ハッピーバースデー」と菓子をプレゼントされるアルトベロ。アルトベロに「マイケルはもう終わってる、自分の事を考えろ」と言われるヴィンセント。ヴィンセントに「別れよう」と告げられるメアリー。メアリーに涙目で睨まれるマイケル。マイケルは弁護士のハリソンから「おめでとう」と、法王がインモビリアーレの契約を正式に許可したことを知らされる。

華やかに着飾り、開演を待つ観客たちの一見楽しそうな談笑には、さまざまな思惑が渦巻く。

その陰では、殺し屋とボディーガードが目を光らせ、一触即発の緊迫した空気を醸し出す。

ここからはゴッドファーザーシリーズのお約束、クロスカッティングが炸裂する。

バルコニー席から息子のオペラを心から楽しんでいるマイケルを、モスカの銃が狙う。もらった毒入り菓子を食いノリノリで観覧するアルトベロを、コニーがオペラグラスで見守る。

ルケージ宅を訪ねるカロ。ギルディ大司教の元へ向かうアルネリ。もうちょっと早ければ法王は無事だったか。カインジックの所へもヴィンセントの部下が乗り込む。

オペラとリンクするように、悪の元へ死神たちが忍び寄る。

マイケルの敵は一掃され、また更に孤独になったマイケルが、コルレオーネ帝国に君臨する。PARTⅡまではこうだった。

しかし最終章、マイケルの最期はこれまでとは違う結末を迎える。彼はドンを退き、ヨーロッパ最大の企業を手に入れた。晴れて裏社会から足を洗い、合法ビジネス一本で勝負する事に異存のある者はヴィンセントが消してくれた。マイケルの若い頃からの夢がやっと叶おうとしていた。元妻や子供たちからの理解も得られただろう。常に努力を惜しまなかったマイケルの、これが最終章だ。そう思ったのは束の間だった。

 マイケルの贖罪は、あまりに辛い結果をもたらした。

 その時彼は断末魔の叫びをあげる。目を剥きよだれを流し泣き叫ぶ。頭を抱え「神様なんてことだ!」と天を仰ぐ。それを見たコニーやケイも驚くほど、こんなマイケルは今までに見たことがない。鑑賞者の自分も最後にこのようなマイケルを見たくはなかった。いくらこの作品がマイケルの悲劇の物語と分かっていても。そのくらいショックなほど悲しい場面だった。

 彼はこの後、シチリアで孤独に生涯を終えるようだ。過去の栄光、栄華は大好きなシチリアの地には必要ない。欲しいものは、数少ない楽しかった記憶に残るようなささやかな幸せ。だがそれはもう戻っては来ない。永遠の命が無いように、永遠の幸せもあり得ない。でもシチリア人はそれを信じている。 Cento'anni ~永遠に・・・                       

                           END

まとめ

 前作から20年経ってからの続編は時代も変わり、登場人物と共に演じる役者も年を重ねました。多くの敵を相手にしてきた主人公マイケルもそのギラギラ感を失い、今作は人生の総まとめという時期です。三代目ドンとの世代交代の場面を迎えることも出来ました。三作でちょうど三代目ボスまでが描かれました。それは鑑賞時間にすると約9時間でしたが、一代目ヴィトーが9歳の時(1901年)から二代目マイケルの死去(1997年)に至る寸前まで、ほぼ100年の歴史を紐解くこととなりました。家族ができ、敵を排除し、家族を失い、敵から命を狙われる。場所はシチリアからニューヨーク、ラスベガス、キューバ、アトランティックシティ、バチカン、そしてまたシチリアへと移り変わりながら、ファミリーは繁栄し、そして衰退しました。両親、兄弟、子供、甥などの血縁者が織りなす家族の物語は、多くの人間を巻き込んで多くの血が流れました。100年の歴史の中で似たような事件を繰り返してきた彼らに、家族の絆、血の濃さを感じます。そんな物語を、ラストはオペラで描きました。

それはまさに、この「コルレオーネ家物語」全体が、一大マフィアオペラだったのだという印象を残します。

PARTⅠは、痛快なバイオレンスアクション、PARTⅡは、シチリアとニューヨークマフィアの歴史、そしてPARTⅢは、それら全てをオペラとして昇華させました。それらの異なった印象を持つ三作は、実は計算された対比が多く、一定の形式やお約束的シーンがたくさん用意されています。一定の形式美を保って反復的に語られる物語になっているので、三作まとめて観て感じてほしい作品です。恐ろしく評価の高いPARTⅠ、PARTⅡから、かなり待たせれてのPARTⅢは、当時良い評価を得られなかったそうですが、三作目までを通して観なければならないサーガです。

 コルレオーネ家。マリオプーゾとコッポラが作り出した架空の家族だけど、この記録はもはや史実のように残りました。永遠に残る家族の物語として。

prime video で鑑賞 (1990年オリジナル版PARTⅢの配信はどこを探しても無いが、この再編集版<最終章>は観れます)

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