アクション・スリラー
JAWS
- 監督:スティーヴン・スピルバーグ
- 原作:ピーター・ベンチリー
- 脚本:ピーター・ベンチリー
- 音楽:ジョン・ウィリアムズ
- 出演:ロイ・シャイダー/リチャード・ドレイファス/ロバート・ショウ
- 1975年/米/124分
鑑賞前に
「ジョーズ」といえば、あの ズンズンズンズンズンズン の音楽です。あれほど曲と映画タイトルが結びついた作品はなかなか無いと思われ、何か得体の知れない恐怖が忍び寄るときの象徴的効果音として、例えば子供の頃には鬼ごっこなどで口ずさみ、逃げる友達を怯えさせ、また大げさに逃げ惑うというお約束が生まれました。この音楽とジョーズが脳内で完璧に合致したがゆえに、ズンズンズンズンの音だけで「したたかに獲物を狙う恐怖の対象」と「命がけで逃げなくてはならない弱者」という構図を、生活の中にまで落とし込むこととなりました。スティーヴン・スピルバーグとジョン・ウィリアムズは、私たちの日常生活をも演出してしまっていたのです。
以降、ネタバレですので注意!
プロローグ:「我々はサメの寿命すら知らない。」
物語は海。暗い海底には人間が知る由もない世界が広がる。
一方砂浜では、穏やかな波の音をBGMに、若者たちが酒を飲み歌を唄い、海底に潜む「もの」の事など想像することもなく、のんきにリゾート気分を満喫する。
大きな美しい鏡のような海面が、娯楽人間と弱肉強食自然界を隔てる。人間どもは無防備な装いで、そのボーダーラインを簡単に超えて、神聖な自然界を娯楽の場として侵食する。海中には、あの音楽がぴったりの未知なるモンスターが息をひそめ、虎視眈々と獲物を狙っている事だってあることも知らずに。
ある日夜明けの海で、若い女性がその餌食となった。
アメリカ東海岸のアミティ島。そこでは長年大きな事件もなく、警察署には空手教室からの苦情や、子供のいたずら、駐車禁止の取り締まり要請があるくらいで、とにかく平和な、海水浴場だけが売りのリゾート地だ。
「アミティ島へようこそ!!」大看板に描かれたビキニのギャルは、ビニールいかだで海に浮かび、能天気に観光客を歓迎している。
このアミティ島とは架空の島なのだが、撮影地はボストンにある港から高速船で約1時間のマーサズ・ヴィニヤード島という高級別荘地とのこと。アミティ島は実在のロケ地と同じく、原住民たちが生態系を守りながら漁業を営み続け、今では夏場にだけ訪れるセレブたちからの観光収入に頼っているという島、として描かれる。
昨年秋にニューヨーク市警から赴任して来た警察署長ブロディ(ロイ・シャイダー)は、この土地に来て初めての夏を迎える。
ある朝、独立記念日のイベントを目前にして徐々に活気づくはずの浜辺に、死体が上がったとの連絡が入る。ブロディが現場へ急行すると、小さな蟹たちと一緒に古い投網に絡まった、女の白い左腕が打ち上げられていた。
検死の結果、死因は「shark attack-サメの襲撃」。ブロディの判断は、直ちに海岸閉鎖を決め、遊泳禁止の立て札を手作りして立てることだった。
しかし事を知った市長は新任のブロディの判断に対し、この島にとって「夏」がいかに大切な稼ぎ時か考えてくれと説く。おまけに死体の死因が「漁船のスクリュー事故」に変更され、この海岸にサメなど存在しない、と断定するのだった。
遊泳禁止の立て札は立てられることなく、浜辺は海水浴客で賑わう。市長の判断に疑問を残すブロディだが、浜辺で遊ぶ観光客を心配そうに眺めるしかない。自分の息子たちも海で遊んでいる。
ブロディの目線の先には、海面下の怪しい影、悲鳴を上げる女性、サメの鼻先に似たスイミングキャップの頭などが次々に現れ、ハラハラしてはまた安堵の連続で気が気でない。
海から上がって来た赤い海水パンツの少年は、黄色いハットをかぶった母親から「爪が紫色になってるわね」と心配されるが、あと10分だけと約束して、黄色いビニールいかだを抱えて再び海に入っていく。
上半身を水面に浮かべ立ち泳ぎをする若者たちの足、いかだにつかまる少年のバタ足を、海中カメラが映し出す。そのカメラは水中から上を仰ぐと、降り注ぐ太陽光がキラキラとエメラルドグリーンに輝き、水遊びする楽し気な歓声と相まって、夏の海の無敵な美しさを見せつける。わー、きれいだなぁ海、楽しそうだなぁ行きたいなぁ、と思うはずの映像だが、これは海洋スリラー映画「ジョーズ」。美しく楽し気な画面に、あの不吉な音楽が鳴り始める。最初は静かにゆっくりと鳴り出したその音楽は、次第にテンポを上げクレッシェンドして大音響になる。もうダメだ。間違いなくこの中の誰かが犠牲になる。音楽はMAX、その瞬間、水面からわずかに見えたヒレと真っ赤に染まる海面。大勢の泳客は悲鳴をあげ死に物狂いで砂浜に逃げ、黄色いハットの夫人は不安げに我が子を探す。
一通りの悲鳴がおさまった時には、ボロボロに破られた黄色いビニールいかだが、赤く染まった波打ち際にひらひらと漂っていた。
少年の母親は悲しみ怒り、人食いザメ退治に懸賞金3000ドルを賭けた。
ブロディは騒ぎが大きくなることを案じつつ、海岸は閉鎖した方がいいと主張する。更に海洋研究専門家を要請して、いざとなればサメと戦う事も考えなければなるまいと覚悟し始めていた。しかし海水浴客を呼びたい経営者たちは、海岸閉鎖に反対する。
そこで市長は、海岸閉鎖を24時間に限定するという判断を下した。
地元の漁師クリント(ロバート・ショウ)が、1万ドルならサメを退治してやる、と名乗り上げる。
彼はこれまで多くのサメと戦い捕らえてきたハンターで、サメの事を良く知っている。経験豊富なサメハンターの強いまなざしを前に、その場の雰囲気がピリっとした。
「我々はサメの寿命すら知らない」
ブロディは、自分がサメの事を何も知らないと分かると、文献や図鑑などでサメの事を調べる。ボートの舟艇を食いちぎるほどの鋭い歯を持つサメや、襲われた被害者の無残な姿、巨大な顎の標本の写真などを見ると、サメへの恐怖は増幅するばかりだった。
ブロディの思いの一方で、サメの恐さも知らずに賞金目当てでサメ漁に出る島民、更に地元市民だけでなく全米からサメ退治にやって来る者たちで町は賑わいをみせる。ダイナマイトを持ち込む者、あろうことかペットの犬をボートのデッキに乗せて血の滴る生肉をばらまく者などが、レジャー気分でサメ漁を楽しむ始末だ。遊泳禁止どころか、交通規制までしなければならない程のお祭り騒ぎとなった。市長などはこの事態をむしろ喜び、ブロディの警戒心を疎ましくさえ思っている。
多くの素人サメハンターに紛れ、海洋協会のフーパー(リチャード・ドレイファス)という小柄な男がやって来た。
なかなかのサメオタクで、さっそく漁船のスクリュー事故と判断された最初の被害者女性の遺体を調べたいと言い出す。
左腕肩と頭部だけが残った女性の遺体の傷口から推定して、スクリューでも岩でも変質者でもない、近海では最大級のサメの仕業だろうと断定した。
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サメ映画『ジョーズ』が残したもの
若き日の無謀なスピルバーグによる海洋スリラー『ジョーズ』が持つ凄さは、目的が単純明快であるにも関わらず、様々な映画ジャンルをてんこ盛りにして最後は完全に冒険活劇へと引っ張り、爽やかなラストを迎える所にあると思います。リゾート地の経済事情と都会から来た警察署長の葛藤など社会的なテーマから、家族愛、男どおしのプライドとささやかに芽生え始める友情、無残にも大きな犠牲を払わせる自然界の恐ろしさ、人間 Vs.サメの壮絶な戦い。それら全ての要素を欲張りに詰め込み、それだけでなくセットはプールではなく大西洋で本物の船を使っての撮影を決行しました。それはあまりにも過酷で、予定以上の時間と予算を要し、スタッフや俳優は疲弊し、膨れ上がる製作費にスピルバーグは自腹を切ったといいます。当初本物のホオジロザメを調教するつもりだったことは実現しませんでしたが、サメロボットが頻繁に故障したため、迫りくる恐怖の対象が姿を見せないままただただ人間の恐怖を煽る、という構図となり、それが功を奏してより一層サスペンスフルに描かれる結果となりました。見えないサメ、樽で表現されたサメ、完成度の低いロボットサメに対し恐怖を表現する俳優たちは、より高い演技力を求められ、それは次第に研ぎ澄まされていったそうです。
スピルバーグは当時の自分を「完璧主義で経験不足、世間知らずで、海についても幼稚な認識しかなく無鉄砲だった」と振り返ります。しかしそんなスピルバーグが苦戦しつつ自らの無謀な構想を形にして世に送り出した本作は、監督にとっても特別な作品であり、鑑賞者の記憶にはトラウマレベルで残り続ける作品となりました。
監督をはじめ、スタッフ俳優陣が命がけで撮った『ジョーズ』。その後も次々に発信されているサメ映画の中でも最高最上級の作品であることは言わずもがなですが、どんなジャンルの映画の中でも際立つ一級の娯楽作品です。
ラストは宿敵人喰いザメの退治に成功して、水が苦手だった主人公が戦友と共に樽につかまり砂浜に漂着するところまでを長回しで見せるという爽やかなシーンで幕を閉じますが、考えれば敵は一頭であるはずもなく、アミティ島の平穏が約束されたわけではない、そんな恐怖の余韻も残しつつ続編『ジョーズ2』に続きます。が、それにスピルバーグ監督は辞退しています。そのくらい過酷な現場だったという事は本作を観れば嫌と言うほど伝わってくる、そんな凄まじい作品でした。