
映画『アイダよ、何処へ?』(2020)日本版ポスターより © 2020 Deblokada / coop99 filmproduktion / IndieProd / TRT / ZDF/ARTE 出典:STAR SANDS(https://starsands.com/)

イラスト:映画『アイダよ、何処へ?』(2020年)の1シーンを参考に描きました。※イラストはオリジナル制作です。
ドラマ・戦争
Quo vadis, Aida?
- 監督:ヤスミラ・ジュバニッチ
- 出演:ヤスナ・ジュリチッチ
- 2020年製作/101分/ボスニア・ヘルツェゴビナ・オーストリア・ルーマニア・オランダ・ドイツ・ポーランド・フランス・ノルウェー合作
映画『アイダよ、何処へ?』感想|母であり通訳であり戦士であった女性の30年前の実話
たった30年前、ヨーロッパの共和制国家、ボスニア・ヘルツェゴヴィナで起きたスレブレニツァの虐殺。
複雑な民族間の対立の中、国連の「安全地帯」と呼ばれた場所で、8,000人以上の命が奪われました。
映画『アイダよ、何処へ?』は、その惨劇を一人の女性通訳——アイダの視点から描いた実話ベースの作品です。
家族を守りたい母として、国連職員として、そして一人のボスニア人として、彼女は命がけで奔走します。
しかし、信じるべき言葉は次第に失われていく。
この作品は、ただの戦争映画ではなく、「もし自分だったら」という問いを観客に突きつける強烈な人間ドラマです。
単一民族の島国で暮らす私にとっての衝撃
たった30年ほどしか経っていない遠い国のジェノサイド。
複雑な民族間の紛争は、私たち単一民族の島国平和ボケ民にはあまりにも衝撃的で、自分の身に置き換えて考えることすら難しいものでした。
しかし全体としては「母として」「通訳(職務)として」「人として」何ができるのかという葛藤の連続を描く、誰にでも投げかけられる選択の話でもあったと思います。
横暴と言われた母の必死さ
アイダは夫と息子たちを守ることに必死で走り回ります。
国連職員という立場を使い、公私を混同しながら奔走する。息子からは「ママは横暴だ」と言われますが、あの場での彼女の行動力は本当に凄い。強い女性でした。
母、妻というよりも、もはや戦士。アイダの行動に対して、息子たちは戸惑いと同時に「ママ、もう無理じゃない?」という諦めも感じ始めていたように思えます。
通訳としての板挟み
家族を守るために戦う母は、通訳としても一民族として戦っていました。
セルビア兵とボスニア市民、国連軍の間の架け橋となる重要な職務。しかし、その立場は彼女自身を追い詰めていきます。
セルビア軍は「安全は保証されている」と言う。
国連司令官は「私たちはできる限りのことをしている」と言う。
市民は「私たちは助かるんだよね?」と言う。
それらすべてをアイダはそのまま伝えなければなりません。例え心の中で「これは嘘だ」「意味がない」と気づいていたとしても。
この映画を観て、通訳という職業のこんな側面と、そこにある辛さを初めて知りました。
崩れ落ちる瞬間
冷静に、時に横暴なまでに突き進んでいた彼女が、家族を救えないと悟った瞬間——崩れ落ちるように感情をあらわにします。
泣き叫んでも誰も何もしてくれない。でも叫ばずにはいられない。その場面は見ていて胸が締めつけられるほど辛かったです。
そして、夫と息子たちは大勢の男たちと一緒に講堂のような場所へ押し込められる。
ナチスのホロコーストを思い出させるような歴史の繰り返し。ガスかと思ったのも束の間、小窓から覗く銃身——おびただしい銃声が響きます。
罪のない子供たちへ
ただ一人生き残ったアイダは、セルビア人が侵攻したスレブレニツァの街に戻り、再び小学校教員として教壇に立ちます。
その中には、夫たちの命と引き換えに生き残ったセルビア人の子供たちもいました。しかし、子供に罪はありません。
過去への後悔と、自分だけが生き残った孤独——それでも、子供たちの未来には温かい眼差しを向けようとする彼女がいました。
無言のラストシーンが、あまりにも雄弁でした。
観るべき理由
『アイダよ、何処へ?』は、たった30年前に起きたことを忘れさせないための映画です。
母としての本能と、人としての誇り、その両方を懸けて戦った女性の姿は、観る人の胸に長く残るでしょう。
観るなら、感情を揺さぶられる覚悟をしてください。
そして、映画が終わったあと——静かな余韻と共に、あなた自身の「選択」について考えてみてほしいです。
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