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ドラマ『アガサ・オール・アロング』――魔女アガサとスカーレット・ウィッチ

  作品データ

作品名:アガサ・オール・アロング (Agatha All Along)      

公開年:2024年

監督:ジャック・シェイファー

原作:スタン・リー、ジャック・カービー『アガサ・ハークネス』

出演:   

  • キャスリン・ハーン
  • ジョー・ロック

話数:9話  

製作国:アメリカ

ジャンル:ファンタジー・ドラマ・コメディ

画像出典:TMDb(The Movie Database)

アグネス、再び!

『ワンダヴィジョン』で、なかなか魅力的なキャラクターだったアグネス。

おしゃべりで、おせっかいで、何かとワンダたちの生活に入り込んでくる。いかにも過ぎるコメディ演技で、シットコムパートを盛り上げてくれた。

彼女が実は魔女アガサだったという展開にも驚かされたし、あの独特の存在感は忘れがたい。

そんなアガサが、今度は主人公になった。

物語は、刑事ドラマを思わせる不思議なオープニングから始まる。ワンダの魔法によって「普通の隣人」として暮らし続けていたアグネスが、ある事件を追う刑事として振る舞っているのだ。

ん!?アグネス、普通の隣人でいいのに、女刑事?しかもちょっとやさぐれてる??

この始まりは、なかなか面白かった。

ところが、魔法が解けたと思ったら魔女団を結成し、魔女の道を進んでいく展開になると、少々戸惑ってしまった。

いろいろな魔女が集まり、試練を乗り越えていく。ファンタジーの冒険物語としてはわかるのだけれど、私はいったい何を観させられているんだろう……という気持ちにもなった。

それでも、最終回で明かされる真実は興味深かった。

そして、このドラマを観たことで、アガサという魔女だけでなく、ワンダという存在についても、改めて考えることになった。

魔女アガサと、スカーレット・ウィッチ

アガサは、いわば魔女のステレオタイプだ。古典的な「魔女」の典型。

ずる賢く、自分勝手で、自分の力を欲望のために使う。他人を欺き、仲間の魔力を奪うことで、強大な力を手にしてきた。

他者を犠牲にしてでも、自分が生き残り、力を保つ。

そんなアガサと対照的なのが、ワンダである。

ワンダは、もともと普通の人間として生まれた。幼い頃から魔法の素質を持っていたとはいえ、自分が伝説の大魔女、スカーレット・ウィッチだとは知らなかった。

『インフィニティ・ウォー』までのワンダは、強力な攻撃能力を持つヒーローだった。

しかし、『ワンダヴィジョン』で彼女が見せた力は、それまでの能力とは次元が違う。

町全体を魔法で覆い、人々を自分の作った世界に閉じ込め、物質や環境までも変えてしまう。

アガサがワンダの力を引き出したわけではない。アガサは、ワンダ自身も知らなかった力の正体を見抜いたのだった。

ワンダは、悲しみと喪失の中で、自分の潜在的能力を制御できなくなり、無意識のうちに理想の世界を作り上げてしまったのだろう。

愛するヴィジョンと暮らし、子どもたちを育てる幸福な生活。だが、その世界を守ろうとするうちに、彼女は町の人々の自由を奪っていた。

最初からすべてを計画していたわけではないだろう。しかし、無意識に作り上げた世界を手放したくないという思いは、次第に彼女の行動に表れていく。

そして、アガサとの対決を通して、自分がスカーレット・ウィッチであることを知る。

さらにダークホールドを手にし、自分の力と可能性を追い求めていくことになる。

他人から力を奪ってきたアガサと、自分の内に眠る力が暴走したワンダ。

同じ魔女でありながら、その力の由来も、力との向き合い方も違うのだ。

二人の魔女、二人の母親

そして、アガサとワンダには、もうひとつの共通点がある。

二人とも、子どもを失った母親なのだ。

ワンダにとって、ビリーとトミーは、ヴィジョンと築いた幸福な生活の象徴でもあった。ヘックスが消えれば、二人の身体も消えてしまう。

それでも、ビリーとトミーの魂まで消滅したわけではなかった。

一方、アガサにはニコラスという息子がいた。

ニコラスは、ワンダの作ったヘックスの中の子どもとは違い、現実の世界で生まれ、アガサに育てられた子どもとして描かれる。ただし、その誕生には魔法的な謎が残されている。

アガサは息子を失い、その後も魔女として生き続けてきた。

ここで興味深いのは、二人とも子どもを失っているのに、その喪失が意味するものも、その後の生き方も違うことだ。

ワンダは、失った子どもたちを取り戻そうとする。自分の力を知り、ダークホールドの知識を得た彼女は、ついには別の世界(マルチバース)にいるビリーとトミーにまで手を伸ばし、自分のものにしようとする。

アガサもまた、息子を失った悲しみを抱えている。彼女の場合はその悲しみを抱えながら、他の魔女に手をかけ、魔力を奪う生き方を続けてきた。

母親だからといって、善人になるわけではない。

子どもを愛し、その執着が強すぎると、他者を傷つけてしまうほど盲目になってしまう。失ったものを取り戻したいという願いが、正しくない行動につながってしまうことも、あるのかもしれない。

二人の魔女の姿を見ていると、そんなことを考えさせられる。

ビリーの物語は、ここから始まる

本作は、ビリー・マキシモフの物語の始まりでもある。

ヘックスが消えたあと、ビリーの意識は別の少年ウィリアム・カプランの身体に宿り、生き続けていた。

そして、ビリーは兄弟トミーを探すことになる。

ワンダが作り上げた世界は消えてしまった。しかし、そこから生まれた存在の物語は終わっていなかったのだ。

さらに、アガサはビリーとの関わりを通して、新たな役割を担うことになる。

自分の息子を失った魔女が、母親を失った少年の兄弟探しに関わっていく。

そこには、単純な母親代わりという言葉では片づけられない、複雑な関係がある。

ワンダが残したものは、彼女自身の物語だけではない。ビリーとトミー、そして彼らに関わる人々の物語へとつながっていく。

そういう意味では、本作はマーベルの世界を次へと広げる作品でもあった。

魔女の物語から、ワンダを考える

ドラマで多くの時間を使って描かれた魔女団の冒険は、意味も目的もよく分からないまま、一人ひとり人員が欠けていって、最終回を迎えた。

それもそのはず、魔女団が唄う意味深な「魔女の道のバラッド」は、魔女を誘い込むための罠だった。「魔女の道」を探す冒険そのものが、アガサの仕掛けた偽りの物語だったのだ。アガサがずっとやってきた偽物の冒険話に、母親譲りのビリーの能力が働いていた、というオチ。

それでも、アガサの過去が明らかになったことで、彼女という人物の見え方が変わった。そして、アガサとワンダを対比することで、ワンダの力や運命についても、改めて整理することができた。

アガサは、ワンダとは違う生き方をしてきた魔女だった。

ドラマ『ワンダヴィジョン』を盛り上げたアグネス、アガサ・ハークネスという女性。ワンダが魔女になる何百年も昔から魔女だった魔女。

ドラマ『アガサ・オール・アロング』自体は、個人的にはあまり夢中になれなかったが、アガサという魔女を知り、ワンダとの違いを考え、ビリーのこれからに思いを巡らせることができた。

アガサの物語を追っていたはずが、最後にはもう一度、ワンダの物語を考えていた。それだけでも、このドラマを観た意味はあったと思う。

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