久々に『セブン』を再見した。
もちろん、あのラストだけは鮮明に覚えている。
だから今回は、結末を知らずに初めて観たときとは、映画の見え方が少し違った。
ラストを知っているからこそ、そこへ向かっていく一つひとつの場面に意味が生まれる。
若いミルズの熱さも。
サマセットの諦めにも似た眼差しも。
そして、ジョン・ドウの一見すると不可解な行動も。
「ああ、そういうことか」と、いろいろな感情が沸き上がることがあった。
そして観終わったときも、前とは少し違う感想を持った。
この映画、後味が悪いんじゃない。
ジョン・ドウが勝った味がする。
90年代ハリウッド映画のカッコよさ
まず、映画そのものがカッコいい。
90年代ハリウッド映画らしいスタイリッシュさがあって、テンポもいい。
刑事ものとして次々と事件が起こり、短い会話もいちいちカッコいい。
「アメリカの映画って、なんて面白いんだろう」と、レンタルビデオ屋さんに毎週通っていたのもこの頃だ。
そして、若いブラッド・ピット。
とにかくカッコいい。
今のブラッド・ピットを知っているからこそ、若さがむき出しになったミルズを見るのも刺激的だ。
ただ、本作はその若さこそが、辛く切なく映る。
ミルズは若くて、熱くて、血気盛んな新人刑事。
正義感が強く、まだ人間を信じている。
ここでは、人間の醜さを毎日見せつけられる。
善良でいようとすることさえ疲れてしまうような街だ。
それでも「悪い奴は捕まえればいい」と、
真っ直ぐな正義を持っている。
初見では、それが刑事としての魅力に見えた。
でも再見すると、その若さが辛い。
なぜなら、私たちは知っている。
一週間に何が起こるのかを。
ミルズとサマセット
このヤマでミルズと出会い、バディの関係を組むのがサマセット。
ミルズとは正反対なベテラン刑事だ。
彼は、長年この街に住み、刑事を続けてきた。
人間の醜さを見すぎている。
犯罪をなくすことも、人間そのものを変えることもできない。
そんな諦めを抱いたまま刑事を続けてきたが、
退職まで、あと一週間だ。
サマセットはミルズのことを「青臭い若造」と思っているようにも見える。
でも、どうも違う。
サマセットはミルズの「ウブさ」を馬鹿にしているわけではない。
むしろ、
「自分も昔はそうだった」
「お前もいずれ俺のようになる」
そんな気持ちで、少し温かくミルズを見ているように感じる。
正反対な二人のバランスがいい。
若さと経験。
熱さと冷静さ。
人間を信じようとする男と、人間の醜さを知りすぎた男。
正反対だからこそ、二人は少しずついいバディになっていく。
しかし、この映画には最初から「終わり」が決まっている。
サマセットが退職するまで、あと7日。
そして物語は月曜日から始まり、日曜日まで進んでいく。
つまり私たちは、知らないうちに「一週間で終わる物語」を見せられている。
『セブン』は犯人探しの映画ではない
刑事ドラマなら、
「犯人は誰なのか?」
「どうやって捕まえるのか?」
が物語を引っ張っていく。
でも『セブン』は、少し違う。
犯人はジョン・ドウ。
そして彼が何をしようとしているのかも、比較的早い段階から分かってくる。
この映画で見せられているのは、犯人探しそのものではない。
ジョン・ドウが七つの大罪を完成させていく過程なのだ。
最初から「完成形」がある。
そのために、一つひとつの殺人がある。
一つの死体を作って終わりではない。
七つすべてが揃ったときに、ジョン・ドウの作品が完成する。
だから彼にとって、人を殺すこと自体が目的ではない。
狂人なのに、ものすごく理性的
ジョン・ドウという人物の怖さ、不気味さ。
間違いなく狂ってはいるが、感情のままに人を殺しているわけではない。
むしろ、ものすごく理性的だ。
再見して特に恐ろしく感じたのが、途中でミルズのこめかみに銃を突きつける場面だった。
あの時、ジョン・ドウはミルズを殺せた。
でも、殺さなかった。
なぜか。
最後の計画を完成させるためだ。
もしあそこでミルズを殺してしまったら、七つ目が完成しない。
自分の「作品」が未完成になってしまう。
だから殺さない。
ここには、衝動よりも「計画」がある。
狂人なのに、ものすごく理性的。
そこが、たまらなく怖い。
「憤怒」はミルズの中にあった
七つの大罪。
「暴食」「強欲」「怠惰」「肉欲」「高慢」。
そして、最後の二つ。
ジョン・ドウの「嫉妬」。
ミルズの「憤怒」。
これで七つの大罪が完成する。
ジョン・ドウは自分自身を「嫉妬」として差し出す。
そして残った最後の一枠を、ミルズに埋めさせる。
ここで重要なのは、ジョン・ドウがミルズに新しい感情を植え付けたわけではないということだと思う。
ミルズの中には、最初から「憤怒」があった。
正義感。
熱さ。
真っ直ぐさ。
妻への愛情。
それらは全部、ミルズの魅力でもある。
ジョン・ドウは、それを利用した。
ミルズから大切なものを奪い、その感情を限界まで追い込む。
そして最後に、愛情を「怒り」へ変える。
ジョン・ドウは、ミルズを別人に変えたわけではない。
ミルズの中に最初からあったものを、極限まで引き出したのだ。
だから再見すると、前半のミルズが余計に切なく見える。
あの熱さが、最後には自分自身を壊す力になってしまうからだ。
あの箱の中にあったもの
そして、あの箱。
ここは何度観ても凄い。
箱の中に何が入っているのかを知ったミルズの顔。
怒り。
悲しみ。
恐怖。
後悔。
混乱。
そして、
「自分はどうすればいいんだ」
という迷い。
言葉を必要としない。感情の全部が顔に出ている。
箱の中のトレイシーがミルズに助けを求めて、見上げている。
その顔を直視することが、どうしても出来ない。
愛する妻を失った。
その妻を殺した男が目の前にいる。
殺せば復讐になる。
でも、殺せばジョン・ドウの計画が完成する。
ミルズだって、そんなことは分かっている。
分かったうえで、追い詰められていく。
そしてサマセットが叫ぶ。
「やめろ!」
「やめろ!」の意味
あの叫びは、単に「ミルズ、犯人を殺すな」という意味ではない。
サマセットは、ここで初めてジョン・ドウの計画の意味を理解する。
ミルズが撃ったら、ジョン・ドウの七つの大罪が完成してしまう。
撃ったら負けなのだ。
でも、止められない。
ミルズは、様々な感情を全て押し退けて、自分の中の「憤怒」を爆発させてしまった。これは同時に「諦め」でもある。
引き金を引く。何発も何発も・・・。
悪人が死んだ。
しかしそこにカタルシスは無い。
『セブン』には、善人から見たカタルシスが、まったくない。
残るのは、完全な虚無だ。
そして、ジョン・ドゥの目的は満たされた。
刑事2人対犯人1人
ここでの対決。
主に、刑事は二人。
サマセットとミルズ。
犯人は一人。
ジョン・ドウ。
2対1だ。
なのに、
刑事の完敗。
ミルズは妻を失い、自分自身まで壊される。
もう、元のミルズには戻れない。
サマセットも負けだ。
ジョン・ドウの計画を理解したのに、ミルズを救えなかった。
そして何より、二人の刑事は、自分たちの手でジョン・ドウの物語を完成させてしまった。
ジョン・ドウは死んだ。
でも、勝った。
死んだのに圧勝だ。
そして観客も、犯人の掌の上
考えてみれば、私たちも同じだ。
ジョン・ドウは最初から、死んだ後まで私たちの頭の中を支配している。
本名すら分からない男なのに。
出番だって、決して多くない。
それなのに、映画が終わったあとまで強烈に残る。
対して、奮闘した二人の刑事の事など、もう考える隙も与えないまま物語は終わる。
ケビン・スペイシーが演じたジョン・ドウは、映画史に残る最悪のサイコパスの一人になった。
「後味が悪い」のではない
『セブン』は、後味の悪い映画の代表として語られることが多い。
確かに、救いはない。
ミルズに待っているのは絶望だ。
サマセットも、相棒を救えなかった。
観ている側だって、気持ちよく映画館を出られるような結末ではない。
でも今回、再見して思った。
これは単に「後味が悪い」のではない。
ジョン・ドウが勝った味がするのだ。
死んだのに、圧勝。
だからこそ、あのラストは「救いがない」のではなく、これ以上ないほど完璧なのだと思う。
ジョン・ドウが最後に完成させたのは、七つの大罪だけではない。
観客の記憶にまで残り続ける、ひとつの映画そのものだったのかもしれない。