スリラーの神様ヒッチコック監督が贈る、その中でもかなり完成度が高いと思われる、スリラー作品。
オープニング音楽がいかにもサスペンスフル。そして「PSYCO」の文字。
サイコパス、サイコサスペンス、そんな言葉が日常で使われだし、その頭文字が「P」だということを初めて知った時に、何だかざわざわとした気持ちになったことを思い出す。
物語は、結婚したい女と、金銭的事情から結婚に踏み切れない男の、真昼間の(しかも仕事の昼休憩中の)情事から始まる。
女(あえて、主人公の女、とは言わない)が、この後会社の顧客の金を着服するきっかけになる導入。
無駄がない。
更にこの顧客、結婚する自分の娘のために4万ドルの家をキャッシュで買ってやるという。この4万ドルが、事の発端となる。
その金持ち、「幸せを買うんじゃない、不幸を金で追っぱらうんだ」と、図らずも女をあおってしまった。
持ち逃げに向けてのムーブメントもばっちりなのである。
で、持ち逃げる。が、ここまで分かりやすい動機付けがされているので、女のことを少々短絡的だなとは思うが、
憎めない。
何だったら、途中警官に怪しまれたり、中古車販売店で不自然な行動を取っているときなどは、彼女のことを応援してしまったりする。そう、感情移入もばっちり。こういう所も巧い。
もはや、サイコというタイトル関係なく、4万ドルの札束を目で追ってしまう状況。
あ、さりげなく隠したな、とか、どうやって保管するの?とか。
見る側の目線をしっかりコントロールしてしまうんだ、ヒッチコックは。
そして終始流れる、女の心情を現す不穏なBGM。こちらも不安に駆られる。これまた感情移入。
犯罪行為と大雨の中での運転で、不安指数はMAX。
そんな時に「掃き溜めに鶴」状態で現れた「ベイツモーテル」とそこの爽やかな青年オーナー。
一見感じのいい男、ノーマン・ベイツ。
ノーマン役のアンソニー・パーキンスは、グレゴリー・ペック主演「渚にて」でも、妻思いの真面目で誠実なイケメン男を演じている。そういうイメージの風貌の役者だ。
この映画が「サイコ」であることを忘れてしまうくらい、爽やかな若者の登場。
しかしここでも、あの不穏なBGM。
ああそうだ、「サイコ」だったんだ、と襟を正す。
ここからは、横領を犯してしまった女、マリオンの話から、ベイツモーテルのノーマン母子の話にシフトする。
厳しいが病気がちな母を、心から心配しているノーマン。マリオンの為に食事を用意するノーマン。優しくて親切だ。
しかし、モーテルの応接室にはノーマンが作ったという無数の鳥の剥製。現れたな不気味さの片鱗。剥製に罪はないが。
どうして逃げてるの?逃げられないよ。人は皆、罠にかかって逃げられないんだ。
自分の生い立ちを語り、母との切れない絆をごく自然の流かのように語る。
ちょっと不気味だけど、この母子はいびつな愛情でつなっがっているんだ。
そこで女は、宿帳に書いた偽名ではなく、本名を告げる。油断の現れ。
部屋に戻り、持ち逃げした金の計算などして、その後、のんきに気持ちよさそうにシャワーを浴びる。
油断の極み。そして鑑賞者もまんまと油断する。
まさかこんなに早く!?
だがこのシーン、後に有名になり過ぎたから、油断から恐怖のどん底に落とされる感覚は、今ではもう味わうことは出来ない。
それを予測して、当時ヒッチコックは徹底してネタバレを禁止したという。(まあ、それだけでは無いのだが。)
そしてこの殺戮シーン、監督もかなりこだわったようで、言葉は間違っているかもしれないが、とにかくエレガントである。
母親と思しき女が躊躇いもなく強硬に包丁を振りかぶるのだが、その残虐的行動とは裏腹に、致命傷や刺し傷、刺された断面、刺した瞬間など一切映さず、女の叫ぶ顔と、バスタブに流れる血と、絶命した顔と、そしてBGMで一気に見せる。
モノクロ映画なのに流れた血はもちろん真っ赤に見えるんだ。(余談だが、この時の血はチョコレートソースだったというのは有名なエピソード)
ヒッチコックは、「裏窓」(1954)からはカラーで映画を撮っているのに、この作品だけモノクロなのは、予算の関係もあったのだろうが、一つはこの残虐な殺戮シーンをいかにエレガントに撮るか、彼の美学がそこにあったのだろうと思う。
なんとこの強烈なシーンは、作品時間のちょうど中間あたりの所。つまり前半で主人公と思われていた女が、退場してしまう。
残念なことに、この有名なシャワーシーンと徹底したネタバレ厳禁のせいで、一番の見せ場として用意されたはずのセンセーショナルなエンディングは、長い年月を経て霞んでしまっている。
久しぶりに見直して、良かったと思う。
消えてしまった、優しくて弱いノーマン。恐ろしくて気の毒な母子の話。
ヒッチコック監督に怒られるから、要の部分のネタバレはしない事にしよう。
まだ見ていない人のために。
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