ドラマ・実話
Lion
- 監督:ガース・デイヴィス
- 原作:サルー・ブライアリー
- 脚本:ルーク・デイヴィーズ
- 音楽:フォルカー・ベルテルマン
- 出演:デヴ・パテル/ルーニー・マーラ/ニコール・キッドマン
- 2016年/豪・米・英/129分
「母ちゃん、ごめんね。」

<これは実話である。>
1986年、インドの中部、カンドワというかなり山奥の村で、大好きな母と兄と妹と暮らす5歳のサルー少年。
父ちゃんはいないけど、仕事に行く母ちゃんの代りに妹の世話をしたり、石を運ぶ仕事(建築関係?)を手伝ったりしている。そうするといつも母ちゃんは「いい子ね」って褒めてくれるんだ。
兄ちゃんは家族のためにいろんな仕事をしている。石炭を運ぶ貨物列車に飛び登ってその石炭を袋いっぱいに詰め、それを市場に持って行って牛乳と交換したり、汽車の座席の下を掃除して、ラッキーな時はお金を拾う事もある。
僕はチビだけど、最近ではそんな兄ちゃんの仕事も手伝えるようになって、二人で駅に行って仕事をしたり市場に行ったりするのが楽しいんだ。
市場ではたくさんの大人たちが買い物をしていて賑やかだ。大きな鍋で作られる 揚げ菓子 はまだ食べたこともないけど、神様にお供えする花のような色をしていて、甘くて美味しそうな匂いがする。いつかお店中の揚げ菓子を買いしめようって兄ちゃんと約束したんだ。そのためにはもっと母ちゃんの石拾いと、兄ちゃんの駅の仕事の手伝いをしなきゃ。もう小さな子供じゃないんだからな。
兄ちゃんはこっそり起きて「夜通し働く大人の仕事」に出掛けるって言うから、僕は無理を言って連れて行ってもらった。母ちゃんには内緒で、兄ちゃんはダメだって言ったのに。僕はもっと家族の役に立ちたいんだ。
汽車に乗って大きな駅に着くと、もう眠たくて仕方がなくなった。どうしても眠たくてベンチで寝ちゃったんだ。兄ちゃんは呆れて「やっぱり連れてこなきゃよかった、仕事を見つけて戻って来るからそこで待ってろ」って言って、また汽車に乗って行っちゃった。
待ってろって言われて僕はベンチでまた寝て待ってたんだけど、目が覚めたら真っ暗で、そこには誰一人いない。
「兄ちゃん!兄ちゃん!!」ここは何処?大きな給水塔が真っ暗闇の中で不気味に照らされている。不安で仕方なくて、停まってる汽車に乗って兄ちゃんを探したんだ。そこにはなぜか誰も乗ってなくて、しんと静まり返っていた。だから僕はついまた寝てしまったんだ。
また目が覚めるといつの間にか昼間になってて、乗ってた汽車はもの凄いスピードで走ってた。それでも誰も乗ってないんだ。何なんだこの汽車は。停車しても誰も乗ってこないし扉も開かない。完全に閉じ込められちゃったじゃないか。
「出して!助けて!兄ちゃん!!」泣いても叫んでも誰も返事をしてくれない。そしてまた夜が来て、叫び疲れて、誰もいないシートで眠る。いったいいつまで走り続けるんだろう。
朝が来て、昼になって、窓の外に向かって「お願い助けて!!」って言っても、誰も助けてくれない。それの繰り返し。
そして三回目の夜、僕だけを乗せたその汽車はやっと、大勢のお客を乗せるために大きな駅で停まったんだ。
乗り込んでくるお客をかき分けて、僕はやっとの思いで汽車から降りた。その駅はもの凄い人混みでごった返してる。この中に兄ちゃんはいるの?「兄ちゃん!母ちゃん!」叫んでも返事はなかった。
見たこともない人混みだ。しかも大人たちは僕の知らない言葉で話し、なぜか怒ってるみたいだ。僕の住んでるところ「ガネストリィ」の事を一生懸命聞いてみても、どの大人も誰も教えてくれない。
駅には僕みたいに家に帰れなくなった子供たちが何人もいて、みんな疲れて駅の床に段ボールなんかを敷いて寝ている。僕も仕方なくそこで一緒に眠ることにした。
どのくらい寝たんだろう。気づくと一緒に寝てた子供たちが泣き叫んで逃げ惑い、それを怖い大人たちが捕まえて、どこかに連れて行こうとしている。僕はもう怖くて、とにかく走って逃げたんだ。あの子たちは、あの後どうなったんだろう。
次に、優しくしてくれるきれいなおばさんの家に着いて行ったら、立派な男の人がやって来て僕の体をじろじろ見て「いい所に行こう」なんて言ってくるから、何か怖くなってまた走って逃げたんだ。
いつも兄ちゃんと一緒に、色んなものから走って逃げたり、怖い大人もたくさん見てきたから全然へっちゃらだったけど、母ちゃんの事を思い出すと寂しくなる。
「母ちゃんごめんね。」
その後は、親切なお兄さんに警察に連れて行ってもらったんだけど、ウチのことは全然わからなくて、孤児院に入れられた。そこではたくさんの子供が暮らしていて、女の子の友達も出来た。その子は「ここはひどい所よ」って言う。ぶたれたり、おかしくなっちゃてる子もいる。だけど、ベッドもあるしご飯だってもらえる。
夜にはみんなが歌う。それは外の世界に憧れる歌。ここはやっぱり、ひどい所なのかもしれない。
僕の所に、「ここにいる子供に家を与える仕事」をしているというおばさんがやって来た。僕の事を欲しいって言ってる家族がいるんだって言う。オーストラリアのタスマニアって島に住んでる男の人と女の人。オーストラリアなんて知らないし、飛行機も知らない。そんなことより母ちゃんを探してよ。でもおばさんは僕の写真をカルカッタ中の新聞に載せて、母ちゃんを探してくれたんだって。でも見つからなかった。カルカッタ?僕んちはガネストリィだよ、遠いんだ。
おばちゃんは「こんな所にいちゃダメよ」って言って、タスマニアのおじさんおばさんの写真を僕にくれたんだ。
もう母ちゃんには会えないのかもしれない。
「母ちゃん、ごめんね。」
カンドワから東へ1600キロ離れたカルカッタで迷子になったサルー少年5歳。寂しさより不安より、自分が目の前から突然いなくなってしまった母の悲しみを想像して、申し訳ない気持ちでいっぱいになる心優しいサルー。このままではいけないと、前に進むことを決断した強いサルー。彼の心の旅はまだ始まったばかりである。
「母さんたちに僕の無事を知らせたい。」

オーストラリア・タスマニアのブライリー夫妻に引き取られることになったサルー。少しずつ英語を学び、実の家族の事をその小さな胸にしまい込み、新しい家族の一員になることを決心したのは6歳の頃か。それから20年が経った今、メルボルンの大学に進み、両親とは少しだけ離れて暮らすことが決まっていた。
僕の1年後にブライリー家に引き取られてやって来たマントッシュ(弟にあたる)は小さい頃のまま、相変わらず自分の殻に閉じこもったきりで、ママたちを困らせている。僕がいなくなってからの3人の事が少し心配だ。
両親は僕の事を心から愛してくれていたし、特にママは僕たち兄弟との出会いに奇跡的なものを感じていて、それを誇りに思っていると言う。だから僕は、そんなママを悲しませてばかりのマントッシュに苛立ちを感じたし、無条件に僕との出会いに感謝して喜び、僕の幸せを祝福する両親には複雑な気持ちになる。そしてそんな感情を抱くことに罪悪感を感じてしまう。僕は実の母さんや兄さんの事を一日だって忘れたことはない。迷子のまま20年も裕福に暮らしているという、この普通じゃない境遇を受け入れられずにもがいているマントッシュのほうがよっぽど正常だ。そんなふうに自分に正直でいられるマントッシュに、僕は嫉妬しているのかもしれない。
大学では多人種の学生が集い、それぞれのアイデンティティを出し合い意見交換をする。みんな積極的に自分をさらけ出し、他者を受け入れる。学ぶ環境としては最高だ。でも僕はみんなと同じようには振る舞えない。
迷子で保護された過去をわざわざ友人たちに話すつもりはなかったが、故郷をカルカッタと偽り、インドの事を聞かれても何も答えられない自分を誤魔化し続けるのもまあまあキツい。
ある日友人の家のパーティーで、偶然にもあの懐かしい揚げ菓子に出会った。マリーゴールド色をした憧れの揚げ菓子。一つ手に取って口に入れると、兄さんと一緒に行った市場の記憶がよみがえり、涙が溢れた。
友達や恋人に、僕の生い立ちについて本当の事を話そう。この話をしない限り、もう僕は僕ではいられない。
「僕は迷子だ。」
そう告白すると、友人たちは親身になって僕の話を聞いてくれた。5歳の頃まで住んでた町はインドの「ガネストレイ」。うろ覚えの地名で調べても存在しない。記憶にあるのは、駅のホームとそのそばにある給水塔の光景。そこから2~3日汽車に乗ってカルカッタの駅に着いたんだ。
汽車の速度と乗っていた時間でカルカッタからの距離を割り出し、その範囲内で給水塔のある駅をグーグルアースで探してみては?
考えたこともなかった。みんなの前では興味のない振りをしたが、その方法ならもしかしたら見つけられるかもしれない。
実際グーグルアースを操作すると、見覚えのある川とそこに掛かる大きな橋が映し出された。自分のおぼろげな記憶と実在の画像が重なる。しかし電車の速度で割り出した範囲は広く、そこから給水塔のある駅を探すのは途方もない作業になることが分かった。
それから2年、生家についての手掛かりは何もつかめないまま、恋人のルーシーを連れてタスマニアに戻って暮らした。
マントッシュは僕の神経を逆なでる。彼の振る舞いが僕を現実に引き戻す。自分たちはここの家の子じゃない。本当の家族が今も僕の事を毎日探して、兄さんは毎日僕の名を呼んでいる。25年もだ。そう思うと胸がえぐられる気持ちになる。
「何一つ不自由のないここの暮らし、吐き気がする。母さんたちに、僕の無事を知らせたい。」
この時の僕はもう、過去の記憶にとらわれ、現実の世界に住むことを辞めてしまった。仕事も辞め、そんな状態で続ける孤独な捜索活動のことは、両親には言えない。
記憶の中にいる実の母さんは、毎日僕を探し続けている。今の自分より幼い兄さんは、僕を見失ったことで自分を責め、寂しい顔をして僕の記憶の中を彷徨う。僕はいつまでも5歳の頃の姿で、生まれ育った地を駆け回っている。
いつもそばにいる実在のママは、そんな僕やマントッシュの事で気を病み、体調を崩すようになっていた。そしてママが12歳の時に見た予知夢のような話を聞いた。子供の頃のママを救うために、僕のような茶色い肌の子供が未来からやって来たという夢の話を。ママはその頃から僕やマントッシュに出会うことを運命づけられていたんだと言う。
そんなママを支えてあげたい。でも実の母を探すことは、今のママへの裏切りにも感じる。
僕がここにやって来たのはママにとっては運命だった。だったら僕の記憶に残る故郷は、いったい何だったって言うんだ。
実の家族はもう引っ越してしまったかもしれない。決して優良な環境ではなかったのだから、最悪の事だってあり得る。
それでも毎晩夢の中で僕は、カルカッタから汽車に乗って、来た道を逆に走って、迷うことなく住んでいた家にたどり着き、母さんに僕の無事を伝えるんだ。そう想像しない訳にはいかない。
母さんがダムで僕を探す姿、兄さんが駅のホームで必死に僕を呼ぶ声、走り回った路の記憶、それらに鳥瞰的なグーグル画像が境目なく混じり合う。タスマニアでの現実風景の中に、インドで過ごすはずだった失われた25年が流れ込む。
混乱する意識の中で、グーグルアースの画像と数少ない記憶が、奇跡的に重なる。
見つけた・・・。故郷を思わせる深い山並み、長い線路をたどると給水塔のある駅、高架下のトンネル、林を抜けると集落がある。その村の名は、「ガネッシュ・トライ」 ≠ ガネストレイ・・・。
故郷、ガネッシュ・トライ
2012年。僕は奇跡的にグーグルアースで生家を見つけ出し、25年ぶりに生家にたどり着くことが出来た。
母さんに会えた時はもちろん嬉しかったけど、まず「ごめんね、」と繰り返し言った。兄さんが亡くなっていたことを知らされると、また母さんの悲しみを想って心が痛んだ。
これまで、もし本当の家族が見つかったら(それは常に切望していたことだけれど)、今までの自分ではいられなくなってしまうのではないかという不安もあった。タスマニアのママへの後ろめたさもあった。
でもそれは、カンドワの母さんの言葉を聞いて全て解決した。
母さんは、僕の事を育ててくれたママに心から感謝していると言う。僕が生きていただけでこれほどの幸せはないと言う。
僕もママが大好きだ。もちろん、パパも、マントッシュの事も・・・。
そして兄さん、ただいま。やっと母さんに会えたよ。ごめんねって言えたよ。
大好きな兄さんの事は、ずっとあの時のまま、忘れない。
サルーは、自分の名前も間違って覚えていた。本当の名前は「シェルー」。その意味は、百獣の王「LION」。