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第88位:エクソシスト

 ホラー・サスペンス・オカルト・ヒューマン

The Exorcist

  • 監督:ウィリアム・フリードキン
  • 脚本:ウィリアム・ピーター・ブラッディ
  • 原作:ウィリアム・ピーター・ブラッディ
  • 出演:リンダ・ブレア/エレン・バースティン/ジェイソン・ミラー/マックス・フォン・シドー   
  • 1973年/米/122分

さて、「エクソシスト」のあらすじです。ネタバレですので注意!

「エクソシスト」とは、「悪魔祓いの祈祷師」という意味。キリスト教は「神」と対で「悪魔」の存在を有りきで考えており、その悪魔が人に「憑依」すること、そしてそれを「祓う」ことを必然としています。「憑依」についても定義があり、それを満たして初めて規則に則った「悪魔祓い」が施されます。厳格な神事なのです。

無神論者にしてみれば、そんなまさかな話、信じるか信じないかは人それぞれ、いや簡単に信じられる話ではないのです。そんなわけで本作「エクソシスト」は、今から50年ほど前に一世を風靡した「ホラー映画」の走りとして記憶に残るものとなりました。その後には「悪魔のいけにえ」「オーメン」なども製作され、まさにオカルトホラーブームの火付け役と言える作品です。

監督は元々ドキュメンタリー映画出身のピーター・フリードキン。フランス映画をリメイクした「恐怖の報酬(1977)」は、過酷な環境下で爆発物を運ぶ、ならず者たちの命がけムービーです。過酷な環境で過酷なロケを強行し、リアリティを追求するのが持ち味の監督で、ロイ・シャイダーやジーン・ハックマンなどは、かなりしごかれたようです。

そんな監督が送るリアリティを追求した「悪魔祓い」は、リアル神事の模様を紹介しており、密室で行われる悪魔と神父の命がけの戦いは、ホラー映画のジャンルを超え、もはやバトルアクションとも言えるものになっています。

音楽はイギリスの新進ロック、マイク・オールドフィールドの「Tubular Bells」。そもそも映画音楽として作られた曲ではないそうですが、シンセサイザーが一定のリズムを繰り返す独特の音色は、後に作られるパクリ、いやオマージュ的音楽も含め、ホラー映画やミステリードラマ、不思議系バラエティー番組などでも使われ、今でもちょくちょく耳にする発明的旋律です。それは7拍子と8拍子を繰り返す不思議なリズムで、常に一拍ずれてるような感じが不安定で、登場人物の不安を表現し、視聴者をも不安にさせます。そしてこれから世にも不思議な体験が待っていることを予期するかのような不穏な音色です。

 端的に言えば、リアルな悪魔祓い仕事が本作の見せ場で、あの印象的な音楽が象徴です。更に深く読み取っていくならば、奥深いメッセージとヒューマンドラマが見えてきます。これだから映画鑑賞はやめられない。

起:二人の神父と、仲良し母子。不吉な予兆

 北イラク、古代メソポタミアの都市二エヴェで、アメリカ人のメリン神父(マックス・フォン・シドー)は遺跡発掘を行っていた。そこで、悪霊パズズの像と、時代の違う聖ヨセフのメダルを見つける。なぜ古代遺跡にヨセフのメダルが・・・。悪魔と神を偶然にも同時に手にした神父は、この後起こる不吉な戦いを予感するのだった。

「聖ヨセフよ、我らのために祈りたまえ」

 場所は変わってワシントン。女優のクリス(エレン・バースティン)は娘リーガン(リンダ・ブレア)と暮らすロサンゼルスを離れ、今は撮影のためにマネージャーや使用人たちと共に郊外のジョージタウンで借りぐらしをしている。

 リーガンはクリスにとって目の中に入れても痛くないほどの存在。可愛くて素直で、父親がいなくてもこのまますくすくと聡明な女性に成長していくであろうと誰もが疑わないし、母子は大変仲が良く、お互いを尊敬し合う関係だ。

だが間もなくして、そんなリーガンに異変が起こる。最初はリーガンにというか、リーガンの部屋に不思議な現象が現れる。娘が眠る部屋から不審な物音がするので見に行くと、外開きの窓ガラスが解放され、室内は息が凍るほどに冷え切っている。そんな部屋でリーガンはぐっすり眠っている。

「ネズミがいるわ、退治して」屋根裏の物音はネズミの仕業と決めつけ、使用人に言いつける母クリスだが、ネズミなどもちろんいない。

悪霊が、まずはポルターガイストとしてこの家に忍び込んだようだ。

 クリスが映画の撮影でロケをしているところを見物するギャラリーの中に、デミアン・カラス神父(ジェイソン・ミラー)がいたが、なんだかとても暗い顔でその場を去っていった。この暗い顔のカラスは神父でありながら、精神科医でもある。他の悩める神父たちのカウンセリングなどをしているが、自分自身が実は老いた母を手に余し、現実主義の医学と精神世界の信仰との狭間で悩み、今や信仰心を失い神父も辞めたいと悩んでいるのだった。

そもそも「デミアン」という名前。本作より後に作られた「オーメン」の主人公、悪魔の子ダミアンといい、後付けではあるが悪魔を想像してしまう。世界中のダミアンさんには申し訳ないが「デーモン=悪魔」をもじったように思えるのだ。しかもデミアン・カラス神父の母親の名前はマリア・カラス。これでは余計に意味を含んでいるように感じても仕方ない。暗い顔の悩めるデミアン、信仰を捨てたいと言う神父は、この時点ではかなり危うい存在だ。

 撮影中のクリスは、監督のバークとは公私ともに良い関係のようだ。その事は娘リーガンも知っていて、母が再婚するつもりなのかを気にしているが、拒絶しているようではない。その事は「ハウディ船長」という日本のコックリさんみたいな物に向かって占って楽しんでいる。

しかし相変わらず屋根裏の謎の物音は消えず、更にベッドが揺れて眠れないという状況。もちろんネズミの仕業ではない。

 女優という華やかな職業柄、クリスはホワイトハウスでの夕食会に招待されたり、ホームパーティーを開いては仲間と宴会したりもするセレブだが、それに対しカラス神父はたった一人の身内の母が病気になってもちゃんとした病院に入院させてあげることすら出来ない貧しい暮らしをしている。そこで愚痴を言いながら死んでいった母を、彼はずっとトラウマに思い、ますます悩んでいくのだった。

この「光と影」のような母子と神父、そして遺跡によって神と悪魔の戦いを予期したもう一人の神父が、偶然か運命か、神の御業か悪魔の仕業かによって、手繰り寄せられる。それを「悲劇」と取るか「救済」と取るか・・・。

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感想

 さすがウィリアム・フリードキン、オカルトネタを見事ドキュメンタリーに仕上げています。ホラー映画として有名になってしまったあの「首180度回転」のシーンは子供部屋のベットの上ですが、映画の冒頭シーンはまさかのイラク。真っ赤な夕陽と古代遺跡から始まります。そこで発掘された古代の偶像が伝説の悪霊パズズで、少女に憑依したのがこのパズズ。最初から具体的に、少女に憑依する霊の正体が設定されています。

 徐々に現れる少女の体の異変は、最初脳の障害と判断され、様々な脳検査が行われます。この検査がとにかく痛々しく、健気な少女がただただ可哀そう。観てるこっちは「そんな検査意味ないから止めてあげて!」って思いながらも、娘を救いたいと強く願う母親にも感情移入します。

その後脳外科から精神科に回されますが、ポルターガイスト現象や、少女が発する獣のような叫び声と攻撃的な言動はどんどん深刻なものになり、体の異変がピークを迎えるのと同時に、そこで初めて悪魔祓いを提案されます。本格的な悪魔祓いが始まるのがまさに映画の4分の3ほど過ぎた辺りで、そこからは一気に神父と悪霊の壮絶なバトルが繰り広げられます。

思春期の少女が起こす奇行を「悪霊憑依」と考えるよりは、脳の障害と捉え検査をしたり、精神科に頼ったりするのが自然ですから、悪魔祓いは最終手段のクライマックスに取っておいたところが、ただの怖がらせ重視のホラー映画とは違うところです。

 リーガン役の天才子役、リンダ・ブレアの迫真の演技には、もう驚くばかり。本当に憑依されてるんじゃないかと思うくらいの形相で暴言を吐き、暴れる。演技だと思うと更に可哀そうになってしまう。いたいけな少女にあんな事やらせて・・って。これがウィリアム・フリードキンワークなのだろう。本作では酷い目に合いっ放しだったリンダ・ブレアですが、続編の「エクソシスト2」では、「リーガンは類いまれなる善人パワーの持ち主だから、悪を呼び寄せてしまう」みたいな解釈だった(と思う)ので、救われた思いになりました。ただ憑依された被害者というより、不思議な能力を持つ選ばれし者だったということなのでしょう。

 少女を救うエクソシストとして呼ばれた高齢のメリン神父は考古学者で、古代より伝わる悪霊パズズの研究から、悪魔祓いの経験を持っていました。12年前にもアフリカでパズズと戦っています(「エクソシスト2」より)。神父でありながら、悪魔研究のスペシャリストです。一歩間違えると、悪魔崇拝にもなり兼ねないなか、強靭な精神で悪魔と戦います。そしてその補佐をするカラス神父は、友人から紹介されてリーガンの母に相談を持ち掛けられました。若い彼は神父であることに自信が持てず信仰心は薄れ、最近母を亡くしたこともあって、「死」への恐怖を抱えているような弱さがあります。

この二人の対照的な神父が、力を合わせて悪霊と戦う一夜。これが壮絶なのです。そしてこれまで自信を失い死を恐れていたカラス神父がラスト、驚くべき行動力を発揮します。カラス神父の人生を凝縮したような覚悟の一瞬を垣間見ました。この一瞬が凄い!巻き戻して何度も観てしまいました。

 その後、全てを忘れてしまったリーガンが、母の友人でカラスを紹介したダイアー神父に別れを告げるとき、神父の襟カラーを見て、彼を強くハグしました。恩人のメリンやカラスの事は忘れてしまっていても、襟カラーだけが潜在意識に残っていたという事なのでしょうか。

 メソポタミアに伝わる悪霊パズズは、熱風とともに熱病をもたらし、バッタの大群による公害(農作物を食い荒らし食糧不足を招く)を起こす悪霊とされています。昔の日本でも何か悪いことが起こると、祟りだ呪いだと言ってお祓いをしたりしていたのと同じでしょう。また、願い事があると、神様仏様と言って何かにすがり付いたり、八百万の神様という、もはや偶像をも持たない「観念」みたいな神様もいます。

つまり悪霊パズズは、熱病や飢饉の具現化に過ぎないはずなのですが、本作では質量を持つ「霊魂」(霊魂に質量があるかは疑問ですが)のように描かれ、一人の少女を苦しめました。悪霊に質量保存の法則が適用されれば、このパズズはとりあえずこの場を去っただけで、滅びてはいないように思えます。

 伝説の悪霊パズズを仮に一体の霊魂として描き、その恐るべしパズズに立ち向かうのは強い「信仰」でした。そしてそれと同じくらい強いのが「母子の愛」です。両者はもしかしたら同じようなものかもしれません。カラス神父の最期の行動も、リーガンを守ろうとする母性のようなもの。同時に無くしかけていた信仰心を取り戻し、亡くなった母に寄り添うことが出来たのだと思いたいです。

超常現象を取り扱った、超ヒューマンなドラマでした。

U‐NEXT で鑑賞

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