ドラマ・コメディ

ノマドランド(2020年)

ノマドとは遊牧民のことで、本作は、住む家を手放しキャンピングカーで生活しながら日雇いや短期の労働先を求めて移動を続ける「現代のノマド」を描く。

傍から見れば自由気ままに旅をし、大自然を謳歌しているようにも見える。もちろんその通り、楽しんでやっている人もいるだろうし、苦あれば楽ありと割り切ってやっている人もいる。

ただ、年金だけでは生活できない高齢者が重労働をしながら車上生活を強いられているとなると、それは社会問題だ。そんな問題提起をドキュメンタリータッチで描いている。この生活を自ら選んでいる者、進んで選んだ訳でもなく、それを余儀なくされている者もいる。

そもそも家賃て何だろう。人が生まれてこの世に存在し、生活するために支払う基本料金みたいなものか。地球のリザーブ料みたいなものか。人は皆平等だなどと言うが、その基本料金さえ払えない人間もいる。

私たちが住む太陽系で一番大きな惑星の木星だったら、もっともっとリーズナブルなのだろうか。

指導者のボブは言う。「我々はドルや市場という独裁者を崇めてきた。貨幣というくびきを自らに巻き付け、それを頼りにしてきた。身を粉にして働き、老いたら野に放たれる。」

資本主義の厳しい所だ。

こちらの主人公ファームという女性は、それに輪をかけ思い出を引きずり過ぎているという悲しい事情、物語がある。他にもこの生活を選んでいる人たちには各々の事情があり、それそれ抱えているものが違うから、本当の気持ちを分かり合う事は不可能かもしれない。全く同じ指紋が存在しないのと同じ様に、全く同じ悲しみは無いのだ。

楽しそうにしていたとしても、それぞれ皆やっぱり思い出を引きずっている。先に逝った家族の思い出、着ていた服、アンティークの食器、手作りの人形、写真・・

それぞれに悲しみ、癒され、希望を持ってはまた悲しみが押し寄せる。ヒーリングジャーニー、決してかっこいいだけの自由な旅じゃない。

ファーンの唯一の肉親の姉は、妹の今の生活を、「開拓者みたいで素敵」と言って、やさしい言葉を掛けてくれるのは有り難いが、全く理解していない。これじゃあ一緒に暮らせない。

ファーンの事を好いてくれたノマド仲間の男性は、豪華なキャンピングカーに暮らし、帰る家もある。一緒に暮らそうと言ってくれるが、そこは彼女の居場所なんかじゃない。

死んだ夫が大好きだった土地(すでに町として存在しない場所)を捨てられない彼女が、癒される時はいつ来るのだろうか。

星が爆発する(死ぬ)と、プラズマや原子が飛び散り、それが地球に降り注ぎ、私たちの手のひらにも降り注ぐという。

ファーンの手のひらにも、愛する夫のプラズマや原子がきっと降り注いでいることを想像してそれを願う。

スキャットでピアノを弾く老人の歌が染みる。一杯どうだ、友に乾杯、隣りにいる友じゃない逝っちまった友に、心の中で生き続ける友だ。今夜のビールは苦い。笑って涙を乾かそう。

アリゾナやダコタの美しい自然と物悲しいピアノの旋律、そしてファーンの寂しそうな笑顔が作品全体の雰囲気を全て物語っている。 

ディズニー+ にて鑑賞

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