作品データ
作品名:マルホランド・ドライブ ( Mulholland Drive )
公開年:2001年(日本公開:2002年)
監督:デイヴィッド・リンチ
脚本:デイヴィッド・リンチ
出演:
- ナオミ・ワッツ
- ローラ・ハリング
- ジャスティン・セロー
上演時間:146分
製作国:アメリカ・フランス
ジャンル:ドラマ・ミステリー
画像出典:TMDb(The Movie Database)
今回初鑑賞だったのだが、名作と言われるにしては、
「……難解すぎないか?🤣」
というのが正直な感想。
何が現実で、何が夢なのか分からない。登場人物の名前は途中で入れ替わったように見える。意味ありげな人物や小道具が突然現れ、何か分かりそうになるたびに、また分からなくなる。
「これは一体、何の話なんだ?」
そんな気持ちになった。
でも、観終わってから冷静に頭の中を整理し、中心にある物語をシンプルに考えると、全体像は何となく見えてくる。
これは、愛する人を失った女性が、罪悪感から逃れるために作り出した夢の話だ。
そして、ある物をトリガーとして、夢の中に現実が少しずつ侵入してくる。
ダイアンが作った夢
現実の主人公、ダイアン。
女優を夢見てハリウッドへやって来たものの、思うように成功できない。
一方、恋人のカミーラは女優として認められる。
映画監督アダムとも関係を持つようになる。それは女優の仕事を射止めるためのアクションかもしれないが、貪欲でギラギラしたカミーラの態度は、ダイアンと愛し合っていた頃とはずいぶん変わってしまった。
愛する人を失い、自分の夢も叶わないダイアン。
その嫉妬と絶望から、カミーラの殺害を殺し屋に依頼する。
殺し屋は、仕事が終わった証として青い鍵を渡すと告げる。
ここまでが、現実のダイアンだ。
彼女は、自分が愛する人の死に関わったという事実と、その罪悪感に耐えられなくなっている。
だから、自らの最期の一瞬に夢を見ることで、人生を作り変えたのだ。
自分は失敗した女優ではなく、才能にあふれた新人女優ベティ。
カミーラは、自分を捨てた恋人ではなく、事故で記憶を失った女性リタ。
そして、そこでは自分は彼女を助けるのだ。
ベティとリタ
夢の中で、ダイアンはベティという女性になっている。
ベティはハリウッドにやって来たばかりの新人女優。明るく、才能にあふれ、周囲からも大スターになると期待されるほどの逸材だ。
現実のダイアンとは、ずいぶん違う。
一方、カミーラはリタという女性になっている。リタは、ハリウッドの街を見下ろすマルホランド通りで事故に遭い、記憶を失ってしまう。そして、ベティのもとへやって来る。
ここには、ダイアンの願望がそのまま表れている。
現実では、カミーラは自分から離れていった。
でも夢の中では、カミーラは過去を忘れている。ダイアンを捨てたことも、別の誰かを選んだことも知らない。
そして何より、ベティはリタを助ける側にいる。記憶喪失の見知らぬ女性を、献身的に励まし、心の支えになろうとする。
心優しいベティ。心細いリタ。
しかし現実では、ダイアンがカミーラの殺害を依頼した。
夢の中では、ダイアンがカミーラを救う。
カミーラをリタに変え、自分をベティに変えることで、ダイアンは人生を最初からやり直しているのだ。
ベティは、ダイアンがなりたかった自分。
リタは、ダイアンが望んだカミーラだ。
自分を捨てないカミーラ。
自分を頼ってくれるカミーラ。
自分を愛してくれるカミーラ。
現実では手に入らなかったものを、夢の中で全部手に入れ直す。
だから、ベティとリタの物語は幸福に見える一方で、最初から何かがおかしく、どこか危うい。
これは現実ではない。
ダイアンの夢。彼女自身はその事に気付いていない。
しかし無情にも、夢の中には少しずつ現実が侵食してくる。
夢に現れる恐怖
本作には、カウボーイ、奇妙な老夫婦、ウィンキースの裏にいる男、ホームレスのような人物など、現実の登場人物としては捉えにくい存在が登場する。
初めて観たときには、
「この人たち、一体何なの🤣?」
となった。
でも、彼らを一人ずつ現実の誰かに当てはめようとすると、かえって分からなくなる。
彼らは、ダイアンの夢の中に現れた、恐怖や罪悪感の形なのではないだろうか。
ハリウッドに対する恐怖。
成功しなければならないというプレッシャー。
自分は選ばれないという劣等感。
自分の人生を支配しているように感じる、見えない力。
そして、自分が犯してしまった罪への恐怖。
カウボーイは、ダイアンが感じていたハリウッドの巨大な力を象徴しているようだし、老夫婦は、夢を追う彼女にかかる期待やプレッシャーを思わせる。
ウィンキースの裏にいる男と、ホームレスのような老人。この二人はもっと分からない。もしかすると、ダイアンの中にある死への恐怖や、罪悪感そのものなのかもしれない。
いずれにせよ、「彼らは誰なのか?」ではなく、ダイアンの心の中にある「恐怖」を表しているのだと捉えることにする。
クラブ・シレンシオ――夢に入った亀裂
ダイアンの夢が大きく揺らぐ瞬間、それがクラブ・シレンシオの場面だ。
夢にうなされたリタが、「シレンシオ(静寂)」と口にし、ベティに「私をどこかへ連れていって」と頼む。
2人が向かったクラブ・シレンシオで、舞台の男は告げる。
ここで聞こえている音は、録音なのだと。
やがて女性歌手が歌い始める。ベティとリタは、その歌を聞きながら泣く。
ところが、歌手が突然倒れても、歌声だけは流れ続ける。
「……何だ、これ?」
初見ではそう思う。
でも意味不明なこの場面こそ、この映画そのものを説明しているように見える。
見えているものが、本物とは限らない。
聞こえているものも、本物とは限らない。
目の前で起きていることを、そのまま現実だと思ってはいけない。
クラブ・シレンシオは、ダイアンが作った理想の夢に入った亀裂なのだと思う。
ダイアンの夢は、完全にベティの現実として続いているように見えていた。
見えているものが、本物とは限らない。
その仕組みが露わになった瞬間、ダイアンはもう夢の中に閉じこもっていられなくなる。
夢の中に現実が侵食し、夢がこれ以上維持できなくなる。
そして、その直後に青い箱が現れる。
青い鍵と青い箱
現実のダイアンにとって、青い鍵はカミーラ殺害の証だった。
その鍵が、夢の中にも現れる。
クラブ・シレンシオで、ベティのバッグの中から青い箱が突然現れる。
この青い鍵と青い箱は、ダイアンの理想の夢を壊す装置なのだと思う。
現実では、カミーラは死んでいる。
ダイアンは、その殺害を依頼した。
夢の中では、「殺害」が「事故」に書き換えられ、死んだカミーラは記憶を失ったリタになる。
ダイアン自身も、ベティという別の人間になる。
けれど、青い鍵だけは消せなかった。
夢の中にまで現実の証拠が入り込んできたからだ。
「ダイアンは本当は、何をしたのか」
その問いから逃げることができない。
青い箱が開いた瞬間、ベティとリタの世界が、終わる。
残るのは、ダイアンとカミーラ。
夢が終わり、現実だけが残る。
夢を壊したのは、ダイアン自身
しかし、外からやって来た誰かが、夢を壊したのではない。
壊したのはダイアン自身だ。
青い鍵も、青い箱も、彼女の夢の中心の奥深い所に存在していたのだろう。
そして、青い鍵を夢の中に持ち込んだのも、青い箱を開くことになったのも、ダイアン自身だった。
でももしこの青い鍵と青い箱がなければ、ベティとリタの物語は続いていたのかもしれない。ダイアンは、ずっと夢の中にいられたかもしれない。
しかしダイアンは、罪悪感を夢の外に置き去りにはできなかった。
彼女が作った理想の世界には、現実の証拠が残っていた。
私はそこに、ダイアンの最後の良心のようなものを感じた。
「もう、この夢を続けてはいけない」
そんな心が、最後に自分の作った夢を壊したのではないだろうか。
そう考えると、青い鍵と青い箱は単なる謎めいた小道具ではなく、罪悪感が夢を終わらせるための、とても悲しい装置に見えてくる。
夢の終わりと現実
映画の前半と後半は、まったく別の物語ではない。
前半は、ダイアンが「こうだったらよかったのに」と作った世界。
後半は、その夢が崩れ、現実のダイアンが姿を現す。
ダイアンがこの夢を見たのは、自殺する寸前の一瞬なのではないかと思う。
ベッドに横たわった彼女が、現実から逃げるように眠りに落ちる。
そして、ほんの一瞬のうちに、
「もし私が成功していたら」
「もしカミーラが私を愛してくれていたら」
「もし、あの人を殺してしまわなかったら」
そんな人生を夢見る。
その夢の中で、ダイアンはベティになる。
カミーラはリタになる。
2人はもう一度出会い、愛し合う。
しかし、青い鍵と青い箱によって夢は崩れ、ダイアンは現実へ戻される。
現実の彼女には、もう逃げ場がない。
カミーラは死んでいる。
自分がその死に関わっている。
女優としての夢も叶わなかった。
そして、自分自身も壊れてしまった。
だから最後に、ダイアンは自ら死を選んだ。
『マルホランド・ドライブ』とは何だったのか
初めて観たときには、謎が多すぎてお手上げだった。
カウボーイは何なのか。
老夫婦は何なのか。
あの男は何なのか。
最初のマルホランド・ドライブの事故は何だったのか。
青い箱は何なのか。
考え始めれば、いくらでも謎が出てくる。
そして、おそらく全部を一つの答えにまとめる必要はないのだと思う。
この映画の面白さは、謎をすべて解くことではなく、
ダイアンが夢を見なければならないほど、現実に傷ついていたのか
を考えることにあるのではないだろうか。
彼女は夢の中で、自分をベティに変えた。
愛する人をリタに変えた。
失敗した人生を、成功する人生に変えた。
殺してしまった人を、今度は自分が助ける人に変えた。
そうやって、人生をもう一度やり直そうとした。
でも、罪悪感は夢の中にもついてきた。
青い鍵と青い箱が現実を侵入させ、ベティとリタの物語を終わらせる。
残ったのは、ダイアンだけだった。
そう考えると、この難解な映画が、少しだけシンプルになる。
これは、ハリウッドの謎を解く映画ではない。
夢と現実の謎を解く映画でもない。
私が行きついたのは、
「ダイアンの罪悪感が夢を作り、その夢に現実が侵入して崩れていく物語」
ということ。
その夢があまりにも切なく、奇妙で、恐ろしいからこそ、『マルホランド・ドライブ』はいつまでも頭から離れない映画なのだと思う。