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『スタンド・バイ・ミー(1986年)』|戻れないから、大切な時間になる

  作品データ

作品名:スタンド・バイ・ミー( Stand by Me  )

公開年:1986年(日本公開:1987年)

監督:ロブ・ライナー

原作:スティーヴン・キング 『 スタンド・バイ・ミー  』

出演:   

  • ウィル・ウィトン
  • リヴァー・フェニックス
  • コリー・フェルドマン
  • ジェリー・オコンネル
  • キーファー・サザーランド

上演時間:89分

製作国:アメリカ

ジャンル:青春、アドベンチャー

画像出典:TMDb(The Movie Database)

初めて『スタンド・バイ・ミー』を観たのは、高校生の頃だった。

当時の感想は、たぶんこんなものだ。

「アメリカのちびっ子たちって、こんな感じなんだー」

そして、

「死体を見に行くって……どういうレジャー??」

今思えば、かなり身も蓋もない(笑)。

ベン・E・キングの「Stand by Me」が流れると、「ノスタルジックで素敵な映画だなー」と思った。少し大人っぽい映画を観たような満足感もあったと思う。

高校生なんて、まあ大体そんなもんだ。

それから何十年も経ち、おばさん👵になってから、この映画を観直した。

作品の内容は、ほとんど全部覚えているのに、不思議なくらい新鮮だった。

同じ映画なのに、見えてくるものが全然違う。

その旅が、子供時代の終わりに差しかかった4人の姿を描いていることに気づく。

12歳の少年たちは、まだ子どもだ

ゴーディ、クリス、テディ、バーン。

12歳の少年たちは、タバコを吸ったり、悪ぶったり、背伸びをして大人の真似をしている。

でも、中身はまだまだ子どもだ。

そのアンバランスさが、たまらなく愛おしい。

特にクリスを演じたリバー・フェニックス。

まだ声変わりもしていないような少年なのに、仲間を気遣う頼もしさがある。

かと思えば、ふとした瞬間には、どうしようもなく子どもっぽい。

その両方を、演技しているようには見えない自然な仕草で見せている。

やっぱり、あの4人の中で一番輝いていたのはリバー・フェニックスだったと思う。

でも、今観ると、この4人をただ「仲良しの少年たち」として見ることはできない。

あの4人はもう、人生の最初の分岐点に立っている。

4人はまだ何者でもない。けれど、何者かにされてしまう前の、かけがえのない時間を歩いているのだ。

4人は、それぞれ違う未来を背負っている

クリスは、家庭環境によって「どうせ自分も父親と同じになる」と決めつけられている。

才能があるのに、誰にも本気で信じてもらえない。

テディは、父親との関係に大きな傷を抱えている。

バーンは、深く考えるより、その場のノリで生きていく。

そしてゴーディ。

兄を亡くし、父親からも兄の代わりになれなかったと思われている。

自分の存在に自信が持てない少年だ。

そんなゴーディを支えているのが、「書くこと」だった。

物語を書くことで、自分の世界を守っている。

こうして考えると、あの旅は単なる少年たちの冒険ではない。

4人はまだ12歳なのに、それぞれがすでに自分の人生の重荷を背負っている。

ただ本人たちは、そんなことを難しく考えてはいない。

死体を見つければ英雄になれる。

冒険をすれば、大人になったような気がする。

だから4人で歩いていく。

その姿が、たまらなく眩しい。

彼らはまだ、自分たちの人生がどこへ向かうのかを知らない。

けれど、同じ道を歩き、同じ景色を見て、同じ出来事に驚く。

その経験が、かけがえのないものになっていくことも、彼らはまだ知らない。

「死体を見に行く旅」の意味

高校生の私は、「死体を見に行くって、どんなレジャー?」と思っていたのだが、

この旅にはゴーディにとって大きな意味があったのだと、今はそう思える。

ゴーディが見に行こうとしているのは、ただの死体ではない。

兄の死だ。

兄を亡くしたことを、まだ受け入れられずにいる。

だから、自分の目でその死を確かめる。

あの「死体を見に行く」という奇妙な旅は、ゴーディにとって、兄の死を受け入れるための儀式だったのではないだろうか。

そして、その旅を一緒に歩いてくれたのが、3人の友だちだった。

少年たちは、自分たちの未来を知らない

大人になってから観ると、少し残酷なことに気づく。

あの4人の輝きは、永遠ではない。

少年たちは、これから自分たちに何が起こるのかを知らない。

誰がどんな人生を歩み、誰がこの世界からいなくなるのかも。

もちろん、12歳の少年たちがそんなことを考えるはずもない。

彼らはただ、今を生きている。

一緒に歩いて、笑って、ケンカして、怖がって、くだらないことを言っている。

だからこそ、その時間が眩しい。

大人になった私たちは、その時間が二度と戻ってこないことを知っている。

でも少年たちは知らない。

未来への不安にも、過去への後悔にも邪魔されず、4人はただ一緒にいる。

旅が終われば、4人はそれぞれ別の道へ進んでいく。少年時代のように、同じ関係のまま同じ場所を求め続けることはできない。

その事実が、あの旅を特別なものにしている。

ゴーディは、過去を物語に変える

ラストで、大人になったゴーディが語る。

12歳のときの友だち以上の友だちは、もうできない。

この言葉は、歳をとってから観ると刺さる。

子どもの頃には、そんなことを考えたこともなかった。

友だちは、これからいくらでもできると思っていた。

実際、大人になれば新しい友だちもできる。

仕事や趣味や、さまざまな場所で人と出会う。

それでも、12歳のあの夏と同じ時間は、もう二度と来ない。

あの4人が一緒に歩いた道も、くだらないことで笑った時間も、怖いものを見て、みんなで逃げ出したことも、

あの頃の自分たちも、全部、一度きりだ。

でも、私はこの映画のラストを「昔はよかったな」というだけの話だとは思わない。

ゴーディは、過去に取り残されていない。

大人になった彼は、ちゃんと幸せそうに生きている。

そして、今も書いている。

子どもの頃のことを引きずって、過去に戻ろうとしているわけではない。

あの時間は終わった。

終わったけれど、なくなったわけではない。

心の中に残っている。

それでいいのだと思う。

ゴーディと、スティーヴン・キング

ここで、原作者スティーヴン・キング自身のことを考えてしまう。

ゴーディは、書くことによって自分を守った少年だ。

家族の中で感じていた孤独や悲しみを、物語を書くことで形にしていった。

それは、少年時代のキング自身とも重なる。

そしてキングの作品には、他にも「作家」がいる。

例えば『ミザリー』のポール・シェルダン。

ゴーディにとって、書くことは自分を救うものだった。

ところが、作家として成功したポールは、書くことから逃げられなくなっている。

書くことで成功したのに、その「書くこと」に縛られ、食い物にされていく。

そう考えると、ゴーディとポール・シェルダンは、まるで正反対の場所にいる作家の姿にも見える。

「書くことに救われた少年」と、

「書くことに囚われた作家」。

キング自身の人生と作品を重ねてみると、『スタンド・バイ・ミー』のゴーディが、また少し違って見えてくる。

過去を物語に変えること。それも、作家の営みそのものなのかもしれない。

戻れないからこそ、大切な時間

高校生の頃の私は、この映画を「少年たちのひと夏の冒険」として観ていた。

それはそれで、間違いではなかったと思う。

でも今は、この映画が描いているのは「少年時代」そのものではなく、人生の中で一度しか持てない時間なのだと思う。

戻りたいわけじゃない。

あの頃が今より幸せだった、ということでもない。

ただ、もう戻れないからこそ、大切なのだ。

人生には、そういう時間がある。

その時、その瞬間には、どれほど大切なのか分からない。

後になって振り返ったとき、それが特別な時間だったことに初めて気づく。

ゴーディにとって、あの夏はそういう時間だった。

そしてきっと、誰にでもそんな時間がある。

だから私は、歳をとってから『スタンド・バイ・ミー』を観てよかったと思う。

昔の自分に戻るためではなく、

昔の自分が過ごした時間を、大切なものとしてもう一度見つけるために。


🎬 映画図書館

棚:大切なものが、心に残っていく映画

『スタンド・バイ・ミー』は、
「もう戻れない時間だからこそ、大切なものとして心に残っていくことを教えてくれる映画。」

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