作品データ
作品名:アベンジャーズ/エンドゲーム:アンコール( Avengers: Endgame Encore )
公開年:2026年 (オリジナルは2019年)
監督:ルッソ兄弟(アンソニー・ルッソ、ジョー・ルッソ)
原作:スタン・リー、ジャック・カービー 『 アベンジャーズ 』
出演:
- ロバート・ダウニー・Jr
- クリス・エヴァンス
- マーク・ラファロ
- クリス・ヘムズワース
- スカーレット・ヨハンソン
- ジェレミー・レナー
- ドン・チードル
- ポール・ラッド
- カラン・ギレン
- ブリー・ラーソン
- ベネディクト・カンバーバッチ
- チャドウィック・ボーズマン
- クリス・プラット
- トム・ホランド
- ゾーイ・サルダナ
- エリザベス・オルセン
- アンソニー・マッキー
- セバスチャン・スタン
- トム・ヒドルストン
- グウィネス・パルトロー
上演時間:183分 (オリジナルは181分)
製作国:アメリカ
ジャンル:アクション・アドベンチャー・SF
画像出典:TMDb(The Movie Database)
『エンドゲーム:アンコール』を観てきました。
今回で3度目の鑑賞。今回は、『アベンジャーズ』『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』と、ここまでの物語を追い直してから劇場へ向かった。
ストーリーはほとんど覚えている。だから初見のようなワクワクとは違い、今回は、ここまで一緒に歩いてきたアベンジャーズを改めて一人ひとり見つめる鑑賞になった。
そして観終わって思った。
これだけ大勢のヒーローが登場する物語なのに、最後に一番強く残ったのは――
やっぱりトニー・スタークだった。
「来るぞ、来るぞ、来るぞ……来たー!」
今回一番楽しみにしていたのは、あの場面。
キャプテン・アメリカが一人でサノス軍の前に立ち、そこへ仲間たちが次々と現れる。
そして――
「アベンジャーズ!アッセンブル」
来ると分かっているのに、鳥肌が立って涙が出る。
『アベンジャーズ』で6人が初めて集まり、『ウルトロン』で揺らぎ、『シビル・ウォー』で分裂し、『インフィニティ・ウォー』で敗れた。そのすべてを観てきたからこそ、「やっと全員揃った!」という感動が込み上げる。
もう勝てる気しかしない。
「いけー!!やっつけちゃえー!!」
……と、誰もが思っただろう。
でもやっぱり、サノス、強すぎ😭
ここでもまた、この男の強さを思い知らされる。
ただ、この場面で感じるのは、ヒーローたちが戻ってきたことだけではない。
彼らは、5年前に敗れたままではない。それぞれが喪失や後悔を抱えながら、それでももう一度、戦う場所へ戻ってきた。
それぞれが抱えていた5年間
5年間という時間は、それぞれのヒーローに違う傷を残していた。
ソーは、『インフィニティ・ウォー』での「頭を狙うんだったな」という言葉を引きずっていた。だからサノスを見つけると、今度こそと真っ先に首を切り落とす。
でも、それで失った人たちが戻ってくるわけではない。
1500年生きてきたアスガルドの王。誰にも負けたことがなかったソーにとって、その敗北はあまりにも大きかったのだろう。
そして、ブクブクに太ってしまった姿は、思わず笑ってしまうけれど、そこには、自分を責め続けていたソーの苦しさがある。
生い立ちの辛いナターシャにとって、アベンジャーズは「家族」だった。
誰よりもアベンジャーズを大切に思っていた。
だからこそ、みんなを諦められない。
ソウルストーンを手に入れるため、ボーミアへ向かったのはナターシャとクリント。どちらも「自分が犠牲になる」と譲らない。
家族を取り戻すために、自分が犠牲になる。あの二人の攻防は、何度観ても辛い。
クリントも、家族を失ったことで別人のようになっていた。あんなにアットホームなパパだったのに、5年間を殺し屋として過ごしていた。
そしてハルクが指パッチンをしたあと、最初に鳴るクリントの携帯電話。
画面に映る、家族からの着信。
5年間、失ったと思っていた家族の声が突然戻ってくる。
どれだけ夢に見た瞬間か。
でも、その家族を取り戻すために、ナターシャを失った。
自分の命と引き換えになった彼女を思うと、また更に辛い。
ブルースは、ブルースとハルクを一つにした。
『ウルトロン』ではハルクになることを恐れ、『シビル・ウォー』では姿を見せなかったブルースが、今回はハルクの力を自分のものとして受け入れている。
タイムマシンを最初に作ったのはブルースで、指パッチンをしたのもハルクだ。右腕がボロボロになるほどの力を使ったからこそ、最後にトニーが同じことをしたときの恐ろしさも伝わってくる。
それぞれが、自分の失敗や喪失と向き合いながら、もう一度立ち上がった。
では、トニーはこの5年間をどう過ごしていたのか。
トニー・スタークが手に入れたもの
トニーは、最初から最後まで「ソルジャー」ではない。
あくまでも、実業家で、発明家だ。
自分が作った武器によって人が傷ついている現実を知り、『アイアンマン』になった。
自分の才能と財力を信じ、危険さえも自分の魅力の一部として扱っていた。
しかし、トニーは完全なヒーローじゃない。
実業家で、発明家だ。
『エンドゲーム』では、妻ペッパーと愛娘モーガンと暮らし、幸せな家庭を手に入れた普通の男なのだ。
トニーはこれまで何度も失敗した。
『アイアンマン2』では自分の技術と命の問題に直面し、『アベンジャーズ』では仲間と協力しながら、ニューヨークを救うために自ら核ミサイルを抱えて宇宙へ飛ぶ。
『アイアンマン3』では、アーマーがなければ自分は何者なのかを問い直す。
『エイジ・オブ・ウルトロン』では、世界を守ろうとするあまり、ウルトロンという新たな脅威を生み出してしまう。
『シビル・ウォー』では過去の罪と向き合い、ピーターを戦いに巻き込みながらも、家族を守るように彼を気にかける。
そして『インフィニティ・ウォー』では、ピーターを失う。
トニーの成長は、失敗しなくなることではない。
失敗するたびに、自分の力が誰かに与える影響を知り、それでも責任を引き受けようとすることだった。
『エンドゲーム』のトニーは、以前のトニーとは違う。
彼には、ペッパーとモーガン、守りたい家庭がある。だからこそ、もう一度戦うことは以前よりも難しい。
それでも彼は、世界を救う可能性を知ってしまう。そして、その可能性を知ったまま、何もしないこともできない。
トニーとピーターが繋いだもの
トニーとピーターの繋がりも、今回改めて感じた。
『シビル・ウォー』で、トニーはピーターに「なぜ戦うのか」と尋ねる。
ピーターは、「自分にできることがあるのに、何もしないわけにはいかない」と答える。
それは、スパイダーマンの「大いなる力には大いなる責任が伴う」という精神なのだ。
そして、その考え方はトニー自身の生き方とも重なる。
トニーだって、本当は戦いたいわけではない。父親として、家族と一緒にいたい。
それでも、「自分にできること」を知ってしまったら、戦ってしまう。
『エンドゲーム』でトニーが最初に望むのは、世界を救うことではない。
彼は、今ある家庭を守ろうとする。それはヒーローとしてではない。
しかしトニーは知ってしまった。
「力ある者には、責任がある」ことを。
世界を救うことと、家族を守ること。その二つを切り離せないと思うまでに、トニーはヒーローとして成長していた。
「I am Iron Man.」
ここで思った。
『エンドゲーム』までに至るすべての作品は、少し言い過ぎかもしれないが、
『アイアンマン』の続編なんじゃないか、と。
でも、そう思ってしまうくらい、最後に残るのはトニー・スタークだった。
1作目『アイアンマン』の最後で、トニーは自分がアイアンマンであることを世間に明かす。
「私が、アイアンマンだ」
それは自己紹介であり、「これからは武器メーカーの社長ではなく、アイアンマンとして生きる」という覚悟と宣言だったと思う。
ただ、そこにはトニーらしい挑発も含まれている。本来なら自分の正体を隠すこともできたのに、彼は隠さなかった。
自分が何者なのかを、自分の言葉で引き受けた。それが、トニー・スタークの最初の一歩だった。
そして『エンドゲーム』。
サノスが、
「I am inevitable. 私は絶対だ」
と言う。
そのサノスに対して、トニーは、
「I am Iron Man.」
と言う。
この二つの言葉は、単なる決め台詞の応酬ではない。
サノスは、自分を宇宙の必然として語る。そこには、誰か一人の痛みや願いを踏み越えてしまう、絶対的な思想がある。
一方、トニーの「I am Iron Man.」は、宇宙の必然に対する、一人の人間の意志だ。
トニーは神ではない。宇宙の法則を支配する存在でもない。
ただ、自分が何者なのか、自分の力が何を引き起こすのかを知っている。そして、その力を使えば自分が失われるかもしれないことも分かっている。
その、
「私は、アイアンマンだ」
だ。
1作目では、トニーが自分の正体を世間に明かした。
『エンドゲーム』では、自分の存在そのものを、最後の選択として差し出す。
「お前は絶対だと言う。
だったら私はアイアンマンだ。
私は神でもない。絶対的な存在でもない。
ただの一人の人間だ。
それでも、私はアイアンマンだ。」
そんな誇りと責任が、この一言に詰まっているように思えた。
そして同時に、アイアンマンとして終わる覚悟をも含んでいるように感じた。
「I am Iron Man.」は、トニーの人生そのものだった
この言葉が強く響くのは、トニーが最後まで完璧なヒーローではなかったからだと思う。
彼は何度も間違えた。
自分の恐怖からウルトロンを生み出し、仲間を傷つけ、ピーターを戦いに巻き込み、守れなかった人たちを抱えたまま生きてきた。
それでも、間違いをなかったことにはしなかった。
『アイアンマン』で武器を作る人間から、武器を止めようとする人間へ変わり、『アベンジャーズ』で孤独な天才から、仲間のために命を懸ける人間へ変わった。
『エイジ・オブ・ウルトロン』で守りたいという思いが暴走する危うさを知り、『シビル・ウォー』で責任を負う重さを知った。
『インフィニティ・ウォー』で守れなかった喪失を経験し、『エンドゲーム』で守りたい家庭を手に入れたうえで、それでも世界のために自分を差し出す。
だから最後の「I am Iron Man.」は、単にアーマーを着たヒーローの名乗りではない。
発明家としての自分。父親としての自分。仲間を傷つけた自分。誰かを救おうとして、別の誰かを危険にさらした自分。
それでも、最後に責任を引き受ける自分。
そのすべてを含めて、
「私はアイアンマンだ」
と言っている。
「私は絶対だ」と言うサノスに対して、トニーは「私はアイアンマンだ」としか言わない。
しかし、その「しか」が、何よりも大きい。
絶対的な存在ではない一人の人間が、自分にできることを選び取る。その選択が、世界を変える。
11年かけて、トニーが辿り着いた場所
『アイアンマン』から始まったトニー・スターク。
発明家。実業家。アベンジャーズ。
失敗する人。後悔する人。誰かを失う人。そして、父親。
そのすべてを経験して、最後にもう一度、
「I am Iron Man.」
と言う。
大勢のヒーローが集まり、宇宙まで物語が広がった。
でも最後に世界を救ったのは、一人の人間だった。
『エンドゲーム』は、アベンジャーズ全員の物語であり、これまでのMCU全体の集大成でもある。
キャプテン・アメリカ、ソー、ナターシャ、クリント、ブルースにも、それぞれの喪失と選択が描かれている。
それでも、作品全体の始まりと終わりを繋いでいるのは、トニーだと思う。
最初に「私がアイアンマンだ」と名乗った男が、最後にもう一度「私はアイアンマンだ」と言って終わる。
その間に、彼は何度も壊れ、何度も立ち上がった。
だから『エンドゲーム』の結末は、トニーの死だけではない。
トニー・スタークが、11年かけて、自分が何者なのかを最後まで選び続けた物語の終着点なのだと思う。
ありがとう、アベンジャーズ
もちろん、トニーだけではない。
キャプテン・アメリカ、ソー、ハルク、ナターシャ、クリント。そこにピーター、ワンダ、ドクター・ストレンジ、ガーディアンズなど、たくさんのヒーローたちが加わった。
最初は6人だったアベンジャーズが、こんなにも大きな存在になった。
そして今、トニーはもういない。
キャプテン・アメリカも、長い物語の終着点を迎える。
キャプテンの強さについては、ここでもっと語りたかった。
彼無くして、この壮大な物語が存在しないことは言うまでもない。
あの、圧倒的な正義感とリーダーシップでアベンジャーズを引っ張って来た彼が、最後に行きついた選択……。
嬉しくて、誇らしくて、少し寂しい。
それでも最後に残ったのは、
「ありがとう」
という気持ちだった。
ここまでたくさんの物語を見せてくれて。
笑わせてくれて、驚かせてくれて、何度も胸を熱くさせてくれて。
3度目の『エンドゲーム』。
今回は、今までで一番、アベンジャーズに向き合って観ることができた気がする。
トニーの物語を最初から最後まで追い直したからこそ、あの一言の意味が、以前より深く感じられた。
「I am Iron Man.」は、トニーが自分の正体を明かす言葉であり、自分の力を引き受ける言葉であり、最後には、自分の命を差し出す覚悟の言葉になった。
最後にもう一度。
ありがとう、トニー。
ありがとう、アベンジャーズ。
そして、『アベンジャーズ/ドゥームズデイ』へ、続く……。
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